遺書を書く少年:8「雨宿りの午後」
「予報では、明日になるはずだったんだけどな。当てが外れた、前線が早く北上して来たべ。」
そう言いながら、親父が熱いコーヒーを入れて運んで来てくれた。さっきはただ苦いだけと感じたコーヒーが、まるで別物のようにおいしく感じられる。
「あんたら地球から来なすったんだな。野菜を買いに来たんだか?」
「ま、それもありますけど…。」
「僕ら、農薬と無線操縦の小型ヘリコプターを運んで来たんですよ。」
トッピーの言葉に、ラナがはたと手を打った。
「せや。そう言えばあの農協のおっさん、今日の昼から種蒔きやとか何とか言ってたな。」
「そりゃ手遅れだなあ。また次の晴れまで、種蒔きはおあずけだな。」
「この星は、こんな凄い嵐がよくあるんですか?」
「いいや。だども、雨季の前線が通るときゃいつでもこんな按配だ。一日ドーッと雨ば降って、その後は毎日しとしと降り続ける。農家には大変な時期だべ、畑の水はけが悪いとせっかく根を出した苗が腐っちまうでな。」
親父はいつの間にか方言を丸出しにして、あれこれと農作業の話を始めていた。
「こんな嵐じゃ、農作物は大被害ですね。」
「昔はそりゃひどかったなぁ。やっと芽を出した麦がみんな流されてしもうたり、穂が出たと思ったらバケミミズにみんな食われてしもうたり。でも今頃じゃ品種改良されて、この星の気候に合った野菜を作っちょるから、この程度の嵐じゃへこたれねぇべ。」
「えらい詳しいな。おっさん、百姓やったんか?」
「30年前はな。わしは地球からシュタール星に開拓に来た、第一世代の生き残りなんじゃ。今じゃ畑は息子に譲って、道楽でこの店をやっとるんだわ。」
「道楽でねぇ。」
どうせ道楽でやるのなら、もっと趣味のいい店にすればいいのにとジラフは思う。
親父は椅子から立ち上がると、「ま、今日の夕方には風もおさまるじゃろうから、それまでゆっくりして行ってくれや。」と言って店の奥へ引き込んだ。
トッピーは店の有料電話で野菜問屋に連絡すると、出港が半日延びた事を伝えた。向こうもこの嵐で輸送が止まって困っていたらしく、「いやぁ、オレンジ出荷しろって言われたらどうしようって言ってたんっすよ。」と笑いながら答えていた。
電話を切ったトッピーはしばらく考えた後、料金の安い通常音声回線で地球への長距離電話をかけた。たった3日ぶりなのに、妻の声は何日も聞いてなかったような気がする。
「…ああピート、僕だよ、トッピーだ。…うん、元気だよ。天候が悪くて、出発が半日遅れてしまったんだ。宇宙船なのに、天気のせいで飛び立てないなんておかしいね。…リブは?まだ幼稚園?…ああ、そうか。いや、こっちの時間じゃ昼間なんだ。そうか、起こしてごめんよ。…うん、それじゃ切るね。おやすみ、ピート。愛してるよ。」
品質の悪い低速回線の声が切れると、トッピーは電話機から出てきたカードを受け取って舌打ちした。
「たったあれだけで75デルタだよ。高速回線だって使ってないのに。」
「まだましやんか。テレビ電話やったら、その10倍はかかってるで。」
「トッピーさん、時差忘れてたでしょ。」
「そうなんだよ、向こうはもう夜中の2時だって。悪いことしちゃったな。」
言ってからトッピーは初めて気がついた。寝ていたにしては電話に出るのが早かった。薄暗い台所の照明と、積み上げた造花の段ボール箱のイメージがトッピーの脳裏にちらつく。ピートの奴、また内職してたんじゃないだろうか…?
「トッピー、顔色が悪いペポ??」
「え?いや、何でもないんだよ。ちょっと、その…。」
「宇宙時差やろが。」
ラナに言われて、トッピーは「そう、そうだよ!」と大袈裟に相づちを打って見せた。
「無理もない、寝てたのはわいだけやからな。ジラフもトッピーも寝といたほうがええで、それにトニーとシビップも。こりゃ、当分嵐は止みそうにもないわ。」
ひときわ大きな音で窓を鳴らして、風がまた町を通り抜けた。補助台のない簡易空港に止めたままのサジタリウス号が気にかかる。この風に倒れたりしてないだろうか。
「あ〜あ、何てついてないんでしょうね。」
ジラフは背伸びをして言うと、椅子を並べてごろりと転がった。シビップもぺたんと椅子に座り込み、それとなく琵琶をつまびきだす。トッピーは、さっきから窓の外を眺めたままのトニーの肩を叩いて言った。
「トニー君、眠くないかい?」
「ううん、別に…。」
「でも、寝ておいたたほうがいいよ。これじゃ、夜まで出港はおあずけだ。」
「うん。眠くなったら寝るよ。」
トッピーは椅子を引き寄せて深く腰掛け、腕を組んで目をつぶった。地球に帰っても内職のことは聞かないでおこう、その代わりに家族でデパートにでも出かけよう。フェローとリブには新しいおもちゃを、ピートには夏物のワンピースでも新調してやろう。そして、一家揃ってレストランで食事をするんだ。
久しぶりに見せるピートの微笑み。子供達の無邪気な笑い声。平凡でささやかだけど、かけがえのない家族の幸せ。いつかトッピーの心は夢の中、一足先に地球に帰っているのだった。
「お前、まだ寝ぇへんのか?」
一人起きているラナの声に、トニーは短く「うん。」と答える。こいつさえ眠ってしまえば、逃げ出すことができるのに。
「しっかし、えらい嵐やなぁ。あのポンコツじゃ、こりゃ離陸は無理やわ。」
ラナはトニーの隣に椅子を運んできて、窓の外を見て呟いた。トニーはむっと口をとがらせる。人がせっかく一人でいたいのに。
「なあ。…お前、まだ逃げようとしとるんか?」
突然の言葉にトニーはぎくりとした。そして表情を隠そうと、トニーは「ううん、まさか!」と言って無理に笑って見せた。
「隠さんでもええ、表情見とりゃ何考えとるかくらいすぐわかる。せやけど、わいはあいつらみたいなお人好しやないさかいな。別にお前がどうしようと、止めるつもりはあれへんで。」
トニーは一瞬驚きの表情を現わしたが、すぐに目つきをとがらせた。まただ、これが大人のやり口だ。そんな甘い手に乗せられてたまるもんか!
「…嘘やと思てんな。まあええ、別に信じてもらおうとは思とらん。どや、一杯付き合えへんか。」
ラナは持ってきたコーヒーカップを一つトニーに渡し、自分の分を音を立ててすすった。トニーは受け取ったカップに口もつけようともしないまま、コーヒーに映った自分の顔をじっと眺めている。
「お前がどうしようとお前の自由や、わいは止めはせん。せやけど、どうなろうと助けもせんで。逃げるなり何なり、勝手にさらせ。」
「…冷たいんだね。」
「お前がそう望んどるんやろが、ん?」
言い返そうとしてトニーは言葉に詰まった。僕は一体何を望んでいるんだろう?とにかく地球を逃げ出せば何とかなると思っていた。でも地球から逃げ出した今、僕はこれから何処へ行くのだろう。…くそ、こんな手に乗せられるもんか!
「じゃあ出てゆくよ、今すぐに。止めるなよ!」
トニーは立ち上がって大股で歩いて行くと、店の分厚いドアの鍵を開けた。
「御勝手に。外は嵐やで。」
ノブを回して扉を開いた瞬間、物凄い風圧で目も開けられなくなった。
(くそ…負けてたまるか!)
さらに扉を明けようとするが、風圧が強くてそれ以上開かない。雨は吹き込んでくるし、この天気で外へ出て一体何ができるのだろう?
「…うるさいな、何ですか!」
ジラフの声に、トニーは驚いて扉を閉めた。バタンという重たい音がして、嘘のような静けさが戻ってくる。
「ムニャムニャ、アン教授…。」
ジラフは何か寝言を言って、椅子の上で寝返りを打った。ほっとして上げたトニーの視線が、窓際のラナの視線とぶつかる。
「ヘヘヘ。まあ、こっち来いや。」
トニーはむっとふくれた顔で、しかし言われた通りにラナの隣に腰を下ろした。
「卑怯だね。知ってて言ったんだろう、外には出られないって。」
「まあ、そんなにふくれんなや。どや、もう一杯。」
トニーは黙って首を横に振った。ラナは自分でポットからコーヒーを注ぐと、砂糖を3杯ばかり入れてかきまぜた。窓の外にまた閃光が走り、数秒後に空気を裂いて雷鳴が響く。
「今出て行ったって、野垂れ死にするだけやで。雨宿りの間くらい付き合えや。」
「僕は死ぬのなんか、恐くないよ。」トニーは言った。「死ぬのはどうせ一瞬さ。でも、苦しみは生きている限りずっとついて回るんだ。」
ガキの分際で何をわかったような事を、とラナは思った。彼の言う苦しみなど、一生のうちに人が出会う苦しみに比べたらどんなに他愛のないものであろうか。死が恐くないなどと言えるのは、まず生きるという意味が彼にわかっていないからであろう。
「トニー。ほんなら聞くが、お前にとって生きるっちゅうのはどういうことやねん?」
ラナに聞かれて、トニーはまた答えに詰まってしまった。長い間胸に抱えていた疑問を、言葉にして投げ付けられたような気がしたのだった。
「生きるって、それは…。」
一体何のために自分という者がいて、何故生きていかなきゃならないのか。生きていることに、何か意味があるのならそれは一体何なのか?もしも意味がないのなら、僕は何故今こうしてここに生きているのか…?
「…答えられへんか。ま、そんなもんやろな。」
「じゃあ、おじさんはどうなんだい、生きるって意味がわかってるのかい?」
「わしか?わしには家族がおるさかいな、まずあいつらを食わせていかなあかん。」
また『家族』か、とトニーは思う。『家族』と『仕事』。大人が何か言い訳する時の常套手段だ。
「それとな、わしには夢があるねん。その夢に一歩でも近づくこと、それがわしの生きるっちゅう意味やろな。」
「夢?」
「そや。夢や。」
ラナは大きくうなずいた。
「わいの夢はな、いつかこの会社を大きゅうして、コスモサービスに負けんような大企業にするこっちゃ。」
「会社って…おじさん、サラリーマンだろ?」
「せや。サラリーマンで、同時に会社の経営者や。この新宇宙便利舎はな、わいとトッピーとジラフ、それとシビップの4人でずっとやってる会社なんや。」
トニーは驚愕と困惑と入り交じった表情でラナを見返した。窓の外には風が吹き荒れ、雲を青白く浮き上がらせて稲妻が走る。嵐は、まだおさまる気配を見せないようだった。
※※※ 小説に登場している人物・団体・製品などの名称は全て架空のものです。例え同名のものが実在しても、本小説の内容とは一切関係ありません。 ※※※
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