遺書を書く少年:2「船出」



 次の日。いつもの場所に腰を降ろした彼は、今まで感じたことのない気配を感じて立ち上がった。
「よう、トニー。いつも何処かに隠れていると思ったら、こんな所にいたのかい。」
 彼は目の前が真っ暗になり、 全世界が絶望に包まれるのを感じた。ただ一つだけの聖域を、よりによって連中に発見されてしまったのだ!!
「トニー。今度はモグラになったのかい?チビにはぴったりの穴ぐらだな。」
「ほら、立てよ。出てこいよ、チビモグラ。」
 彼は穴から引きずり出され、いつものように小突き回された。振り回されてぐるぐる回る視野の端で、例のSが彼の聖域に小便をしているのが見えた。
「やめろ、やめろ!お前ら、それでも人間か!」
「モグラが何か言ってるぜ。」
「ほら、じゃれるなよチビ。」
 急に放り出されて、彼はよろけて地面に倒れる。「立てよ、チビ。さっきの元気はどうした、え?」
 彼は情けなくて泣いた。口惜しくて泣いた。決して、痛みや悲しみで泣くのではなかった。自分が情けなかった。何故僕はこんなに痩せて力がないんだろう。彼は親を呪う。何故こんな体に僕を産んだんだ。
「おいおい、また泣き出したぜ。ママが恋しくなったかい、坊や。」
「けっ、張り合いのねぇ。行こうぜ、こんな根性無しは放っといて。」
「またここに来てみろ、今度は生き埋めにしてやるからな。」
 連中が去った後、彼は呆然として座り込んでいた。もう、ここは聖域ではなくなってしまった。もう、何処にも僕を迎えてくれる場所がなくなってしまったんだ。絶望だ。
 家に向かって、帰りたくもない道を彼はとぼとぼ歩く。ドアを開けると、両親の靴が揃っている。やっぱり親父は帰っていた。
「ただいま。」
「お帰り、トニー。ちょっと、どうしたのその格好??」
「うん…ちょっと、友達とはしゃぎ過ぎてね。」
「まあ、しょうがない子ね。それじゃ、先にお風呂に入ってなさい。」
「うん。」
 トニーは部屋に戻り、着替えを持って風呂場に行った。
「おう、トニー。どうしたんだ、泥だらけになって。」
 親父は、まるで何もなかったかのように食卓に座っていた。テレビをつけて、新聞を読みながら飯を食べる。この男には、他に家庭に楽しみなどないのだろう。
「何でもない。ちょっと、転んだだけだよ。」
「そうか、気を付けろよ。」
 それだけ言って、彼はまた新聞に目を落とした。台所に戻ってきたおふくろと目も合わせようとしない。そこには、赤の他人以上によそよそしい雰囲気が流れている。
 彼は溜息をついて風呂に入った。体中あちこちがヒリヒリする。思い切って熱い湯をかぶって、彼は歯をくいしばった。
「また…明日か…。」
 腕についたミミズ腫れを見て、彼は前途に広がる絶望に首をうなだれた。また明日、そのまた明日も同じことの繰り返しだ。体の怪我なんかが問題なんじゃない、こんなものは時間が経てばいつかは治る。でも、僕の心についた傷は一生消えることはないだろう。
 目を閉じればSとその仲間のニヤニヤ笑う顔が目に浮かぶ。あいつらはいいよな、自分の馬鹿さ加減に気がつかずに好きなことができるんだから。あのまま、自分は幸せだって考えて一生を過ごすんだろう。政府や企業のロボットにされて、それでも自分が幸せだなんて考えられるなんて、馬鹿に与えられた特権だ。でも、僕はあんな風にはなりたくない。
 いつかテレビで、どこかの大企業の研修風景を見たっけ。全員が揃いの制服を着て、御丁寧に鉢巻まで巻いて、涙を流して大声で社歌を合唱しているんだ。ゾッとしたよ。あれじゃロボットと同じじゃないか。でも最近のロボットは賢いから、そのうちロボットの方が人間よりもっと人間らしくなって、人間がロボットに使われる日が来るんじゃないかな。でもそうなっても、Sみたいな馬鹿は自分は幸せだって思い続けるんだろう。
 トニーが風呂場から出てくると、親父は相変らず飯を食べている所だった。彼は黙って食卓に座り、「いただきます」とぼそりと言って夕飯を食べ初めた。
「おいトニー。黙ってないで、いただきますはどうした。」
 彼はむっとして顔を上げた。この馬鹿親父が、自分の興味無いことは聞こえてない癖に、言うことだけは偉そうに!
「言ったよ。」
「そうか?俺には聞こえなかったぞ。」
 親父の顔は赤い。また酒を飲んでいるんだろう。酒に酔った親父の顔は、自分がこの男の血を引いていることが情けないくらい猿に似ている。いつもなら「ハイハイ」と言ってごまかすトニーは、何故か今日は突き上げてくる衝動に言葉を任せた。
「自分だって、100回に100回ともいただきますって言うのかよ。」
「何だと…もういっぺん言ってみろ!」
「わかったよ、聞きたきゃ何度でも言ってやるよ!いただきます、いただきます、いただきます…」
「トニーッ!」
 バシン!おふくろの悲鳴と、親父の張り手が同時だった。
「この、ひねくれ者が!一体、誰に似たんだ!」
 お前に似たんなら最悪だ、と彼は鋭く父親をにらみ返す。このバカザルが、都合が悪くなるとすぐ暴力だ!
「あなた、もうやめて!たかが、言葉使いくらいのことで。」
「お前がそうやって甘やかすから、こいつはこんなひねくれ者に育つんだ!」
「あなたはいちいち殴りすぎるのよ!トニーは、ただ淋しいだけなのよ。」
「淋しいだって?それはお前が、仕事ばかりに構っているからだろうが!」
 まただ。いつも、最後はこうなるんだ。…もう、沢山だ!トニーは立ち上がり、力一杯の大声を張り上げた。
「二人とも、好きなだけ喧嘩してろよ!僕はもう嫌だ、沢山だ!」
 彼は部屋に駆け込むと、思い付くもの全てを小さなカバンに詰め込んだ。財布。貯金箱。工作用ナイフ。夜食のパン。着替え。学校のIDカードは入れかけて放りだし、代わりに日記帳を詰め込んだ。
「トニー、どうしたの?」
 心配して見に来た母親を突き飛ばし、上着を羽織って彼は家を飛び出した。
「トニー!」
「放っとけ!2度と帰って来るな!」
 親父とおふくろの声を残し、トニーは夜の街へと駆けだしてゆく。親の情けなさに、馬鹿さ加減に涙が流れた。馬鹿野郎、親だって結局は大人じゃないか、僕の気持ちなんてわかってたまるもんか。帰って来るなだと?頼まれたって帰って来るもんか!
 彼にはもう行く場所などなかった。それがわかっていながら、彼はただがむしゃらに駆け続けた。すぐに息が切れ、目がくらみ、足ががくがくしてくる。畜生、何故こんな脆弱な体に産んだんだ!
 気がつけば、彼はいつもの丘に立っていた。荒い息づかいをしながら、彼はなぜここへ来てしまったのだろうと考える。ここへ来たって、ただ悲しい現実を直視しなけりゃいけないだけじゃないか。もう、どこにも帰る場所がないってことを。
 彼の秘密の場所は、もう秘密ではなくなってしまっていた。立ちすくむ彼の背中を、春のまだ冷たい夜風が吹き抜ける。彼は丘の中腹にしゃがみ込み、ライトに照らされた宇宙港の風景をぼんやりと眺めた。
「そうだ…僕は、旅に出るんだ!」
 このまま大人になっちまう前に、僕は旅に出なけりゃならないんだ。そして、いつか本で読んだ放浪の詩人のように、一生純真な心のままで旅を続けるんだ。それにはまず、地球を離れなけばいけない。この汚れ切った地球から、遠いところへ行かなきゃならない。
 彼は丘を駆け下りて、空港のフェンスを乗り越えた。そしてガードロボットに見つからないように足音を殺し、一番手近な宇宙船の陰に逃げ込んだ。
「この船、いつものあの船だな。」
 トニーは上を見上げて呟いた。いつも空港の一番端に置かれている、例のくたびれた宇宙船。もう出発の準備が整っているのかケーブル類はすべて外されており、開けっ放しの船底ハッチからはラダーが降りている。
「行くんなら、この船しかない!」
 トニーは意を決すると恐る恐るラダーに取り付き、思い切って一気に登り切った。船内に入るとほっとする、だがまだ油断できるわけではない。乗組員に気づかれないように、彼は足音を殺して船内ラダーを登って行った。
 エンジンルームを抜け、カーゴルームを通り過ぎ、トニーは注意深く居住区へと進む。臆病な自分のどこにこんな勇気があったのかと思うくらい、彼の行動は落ち着いている。きっと、人間はいざっていう時になると本当の力が出るんだろうな、と彼は思う。
 ラダーを最上階まで登ると、そこはコクピットになっていた。どうやら、まだ乗組員は乗っていないようだ。無人のコクピットに、チカチカと計器盤の明かりだけが灯っている。彼はほっと胸をなでおろすと、ラダーを降りてカーゴルームへと戻った。
 コンテナとコンテナの隙間に身を潜らせると、急に緊張が全身に押し寄せてきた。震える手足を押さえようと、彼は家のことを考えることにした。あのバカ両親、僕がこんな行動に出たなんて想像すらもしてないだろう。きっと、「ごめんなさい」なんて言って、僕はすぐ帰ってくるって思ってるんだろう。ところが僕は戻らない。2日経っても、3日経っても戻らない。慌てて警察に届けを出しても後の祭り、僕はもう宇宙の上さ。ざまあ見ろ、もう絶対に見つかりっこないんだから。
 絶対に見つかりっこない、と思って彼はふと不安になった。もし出発前に見つかったら、確実に警察に突き出されるだろう。それじゃまるで茶番劇だ、ぜんぜん格好がつかないじゃないか。ここまで来てしまった以上、それだけは絶対に避けなければいけない。
「また、ハッチが開けっ放しになっとったで。」
 階下から聞こえた男の声に、トニーは息を止めて身を堅くした。
「最後に出て行ったのは…そうか、きっとシビップの仕業ですよ。」
「またかいな。ほんまにあいつは、何べん言ったらわかるんや。空港警備のおっさんに見つかったら、またうるさく言われんのやで。」
 二人の声はカーゴルームを通り過ぎ、コクピットへと登って行く。どうやら気づかれずに済んだようだ。
 ブルブルという振動が船体を震わせた後、甲高い音を立てて補助エンジンが始動した。カーゴルームにはエンジンの振動がもろに伝わり、ガタガタと積み荷が揺れて音を立てる。「いよいよだな…」トニーは忘れ物をしたのではないかとふっと考え、頭を振ってその考えを打ち消した。これまでのことは一切振り切って、これからの無限の可能性に目を開くんだ。
「シビップ、急げよ。もうとっくに出港時間は過ぎてるぞ。」
「ペポ、トッピー待って!」
 別の乗組員が駆け足でラダーを登って行く声がした。エンジンの音はいよいよ甲高くなり、トニーの鼓動は緊張に高鳴る。もう引き返すことはできないんだ、と彼は何度も自分に言い聞かせた。
 突然、轟音と共にメインエンジンが点火した。強烈なGに、トニーは必死にコンテナにしがみつく。何てこった、以前に乗ったことのある観光船とはえらい違いじゃないか。目の前が真っ暗になり、全身にビリビリと振動が伝わってくる。込み上げてくる吐き気をこらえながら、トニーは自分の甘さを思い知った。旧式船には旧式なりの事情があるのだ。それに、カーゴルームには対G装置がないらしい。だが、もう引き返すことは不可能だ。
 密航者を乗せた宇宙船は、夜空に白い噴射煙を曳きながら、遥かなる宇宙に向けて旅立って行った。


※※※ 小説に登場している人物・団体・製品などの名称は全て架空のものです。例え同名のものが実在しても、本小説の内容とは一切関係ありません。 ※※※

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