LISA:5 「花火の夜に」



 遠く海の向こうから、また何発かの花火が上がった。パッパッと夜空に小さな花が咲き、数秒後に遅ればせながらの爆発音が届く。
「た〜まや〜っ!」
 敏夫の横で、浴衣姿の瞳が納涼ウチワを振り上げてわめき立てる。白猫エリザベスは「うるさいよ」と言わんばかりの目付きで瞳を見上げ、花火などどこ吹く風で缶詰をむさぼるのに余念がない。
 梅雨の合間に行われる七夕の花火大会を、敏夫達は自宅の屋上から見物していた。今年の七夕は何年ぶりかに雲が切れ、「織姫」こと琴座のベガと、「彦星」こと鷲座のアルタイルが向かい合っているのが見えた。しかし残念ながら空の透明度が悪く、両者を隔てる銀河の川を見ることはできない。海からの風に乗って花火の煙が空に漂っているので、透明度の悪さはいつも以上だ。
「か〜ぎや〜っ!」
 また、何発かの花火が海上の夜空を彩った。続いてトン、パラパラと遠く、遠雷のような爆発音。ここから数十キロ先の湾上、普段は水平線に隠れて見えない新首都の埋め立て地から花火は打ち上げられているのだ。双眼鏡で見ると、湾には花火見物のフェリーらしい船の灯す明かりがちらちらと浮いている。
「空の星座はロクに見えないのになぁ。地上の星座ならぬ、海上の星座だな。」
 敏夫は苦笑して、双眼鏡から目を離した。あの中には高級クルーザーやら、豪華ディナーパーティー付きの客船もあるのだろう。いまだに過去の価値観を捨て切れない連中が、金の力で見せかけだけの幸せを買い占め、俺は貧乏人ではない、私は貧乏人じゃないわと自分に強迫観念を押し付けているのだろう。全く、御苦労様なこった。
「すいかをお持ちしました。」
 階段の下からリサの声がして、瞳が「私が持ってくる!」と言って階段を飛び降りて行った。家庭用ロボットとは言え、旧式のリサは階段は苦手なのだ。よほどの事情がない限り、階段の昇降を禁じるようにプログラムされている。
「はい、パパ。今年の初物だね。」
「うん。ママに感謝しろよ。実家が農家じゃなけりゃ、こんなの買うと高いんだから。」
「わかってるよぉ。ありがと、ママ。いっただきまーす!」
 瞳が西瓜にかぶりつくと、再び遠い夜空に花火が開いた。音が遅れて届く5、6秒の間、花火は音もなく次々と打ち上がる。まるで、夢のなかの景色のようだ。花火のきらめく瞬間、湾岸沿いに黒々と、夢と欲望の墓標のような高層ビルの陰が浮かび上がって見える。
「なぁ瞳。…お前の生まれる前、この街は世界有数の大都市だったんだ。」
「首都だったんでしょ?知ってるわよ、そんなこと。」
 瞳は当ったり前じゃん、と言いたげな目をちらりと向け、再び西瓜にかぶりついた。そう、この街はこの国の首都だったんだ。あれはもう、10年も昔のことだ…。
「この辺りはベイ・フロントとか呼ばれてな、旧首都の交通の要衝だったんだ。狂乱地価の時代は一坪数億円だったんだぜ。」
「ふーん。」
 瞳にはあまり興味はない。二切れめの西瓜を手にとって、どこから口をつけたものかと思案している。
「それが首都が海上に移転することになってな、連絡橋をどこに作るかで大騒ぎだったんだ。面白かったぞ、役人や企業どもが右往左往立ち回ってな…。そして傑作なことに、この辺りは地価が高すぎて、結局橋につながる道路も鉄道も建設できなかったんだ。」
 瞳はもはや聞いていなかったが、敏夫も気にしてはいなかった。彼の話は、自分に語りかけるかのように延々と続いた。
「結局、いままで田舎だの何だの小馬鹿にされていた地方から2本の連絡橋が延びてな、みんな不平ブーブー言いながら遠回りしていたんだ。誰もが新首都は空港とお役所ビルだけの殺風景な場所になるだろうと思ったよ。しかし、計画は奇跡的に成功しちまって、大企業は軒並み海上に本社を移しちまった。こっちの地価が気狂いみたいに高沸したのが原因だろうな…。馬鹿を見たのはこっちに残った連中で、地価は暴落するわ、企業や住民は流出するわ、おまけに政府が旧首都直結の連絡橋建設計画を棚上げにしたとあって、この辺りは昔の面影もなくさびれちまったんだよ。」
 いつしか打ち上げ花火は終わっており、空の主役は仕掛け花火に移っていた。もっとも、敏夫の家からこれを見ることはできない。緑や紫の色とりどりの光が、上空の煙に映るのが見えるだけだ。
「終わっちゃったね、パパ。」西瓜も全部食べ終わった。エリザベスもひと足先に部屋に戻っている。
「あぁ。最後の一発がある筈なんだがなぁ…。まぁ、いいか。」
 敏夫がゴミを片付けて階段を降りかけた時、背後から「キャッ!パパ、見て見て!」と瞳の声。階段を駆け登った敏夫が見たものは、巨大な光の輪が消えてゆく瞬間だった。続いてドン、パパパンと腹に響く、横綱級の爆発音。花火大会の最後を飾る3尺玉だ。
「見えた、パパ?」
「いや、消える瞬間だけ…。」
「凄かったよ。こーんなおっきな花火の中に、中くらいの花火がいっぱい開いたんだから。」
「クソ、俺はせっかち過ぎるのかなぁ。毎年見逃してるような気がするぞ。」
「パパは慌てんぼなのよ。ママだって言ってたじゃない。…あっ、パパ見て!」
「何だ、また花火か?!」
 ベランダから身を乗り出した瞳の指差す方向には、ガラクタの山と犬小屋と、そして黒い野良猫が一匹…ボブだ!
「ボブ、ボブ!帰って来たの?」
 ボブは犬の食器から顔を上げ、口のまわりをペロペロ舐めながらこっちを見た。ふたつの青い目が、暗がりの中で鋭く光る。
「おい瞳、行って連れて帰って来い。あの様子じゃ、相当腹を空かしているぞ。おい、ボブッ!」
 ところがボブは敏夫の声を聞くと2、3歩後ずさり、パッと飛び出すと影のように走って姿をくらましてしまった。瞳はムッとした表情で父親を睨む。
「パパのバカ、大声なんか出すからよ。あの子、とっても神経質なんだから。」
 敏夫はしまったとは思ったが、口では娘に言い返した。
「神経質な猫が犬の食い物を横取りするのか?やっぱりあいつはゴン太だよ。」
「ベスは特別よ、猫にはとても優しいの。それに、ベスが吠えたことなんて今まであった?」
 見下ろすとベスは犬小屋から顔を出し、ボブの去った方向をじっと見つめていた。心なしか心配そうな表情にも見える。うちの猫も変わった連中だが、ベスも全く妙な犬だ。
「本当に、あいつは全然吠えないな。もし泥棒が入ってきたとしても、やっぱりグーグー寝てるんじゃないか?」
「ああいう犬が一番賢いの。本当に危険な時はちゃんと吠えるわよ、吠えてばっかりいる犬は臆病なの。パパったら、動物のことなんにもわかっちゃいないんだから。」
 ギャフン。くそ、この頃口喧嘩じゃますます歯が立たなくなってきたな。
「悪かったな。どうせ俺は機械バカだよ。」
「学校の先生が言ってたよ、機械ばかり相手にしてる人はノイローゼになるって。パパももっと動物のこと理解しなきゃ。」
 敏夫はこの場は退散したほうが賢明だと、ゴミ袋を持ってひと足先に階段を降りた。と、階下でリサが引っくり返り、がたがた音を立てている。階段を登ろうとして転げ落ちたらしい。
「おい、大丈夫か?一体どうしたんだ、階段は危険だってプログラムされていないのか?」
「ユウジ…サン…」
「何だって、俺は敏夫だぞ?画像認識までイカれたか?」
 ちょっと待て、ユウジ?敏夫の顔が緊張した。雄二のことか?何でこいつが、そんなことを知っているんだ?
「おい、一体何のことだ!雄二がどうした、何か知っているのか?!」
 突然リサの電源が落ち、全機能が停止した。筐体から白い煙がかすかに漂い、電子部品の焼ける臭いがする。何かの部品が加熱して、安全ヒューズが飛んだらしい。
「ねぇ、パパどうしたの?」」
 茫然とする敏夫の背中を瞳が覗き込み、倒れたロボットを見て一瞬息を飲んだ。
「…壊れちゃったの?」
「うん…いや、修理すればすぐ直るさ。修理すればな。」
 敏夫はしばしの間無言で座り込み、瞳も黙ってたたずんでいた。
「…ねぇパパ、捨てたりしないでしょ。リサは、家族の一員でしょ…。」
「違う!」
 突然敏夫は大声を上げて立ち上がり、自分の行動に自分で当惑した。バカな、こんなことで感情的になるなんて…。
 瞳は困惑した表情を浮かべ、胸に手を当てて突っ立っている。大人げないことをしたな、と敏夫は思った。そろそろ、この子にも事情を話さねばならない時なのだ。
「…済まん、そうだな、こいつは家族の一員だな。だがな、お前がリサって名前をつけた時、俺も悩んだんだ。できれば、話したくなかった…。」
 敏夫は娘の肩に両手をかけた。瞳は突然のことに戸惑いながらも、じっと父親の目を見返している。
「…ママと別れた原因だよ。いずれ、話す時は来ると思っていた。聞きたくなければ、そう言ってくれ。」
 瞳は無言で首を左右に振った。彼女が物心ついた頃から両親は別居していたが、その理由について尋ねたことはなかった。何となく、触れてはならない問題だとわかっていたからだ。
「リサ…理沙っていうのはな、お前の妹の名前だ。」
 敏夫は重苦しく口を開き、ぽつりぽつりと絞り出すように話しだした。
「妹になるはずの名前だったんだ。お前はまだ3つだったから、よく覚えていないと思う。あれは6年前だ…流産したんだ、6ヶ月だった。俺が、俺が頼りなかったばっかりに…。」
 敏夫の唇が締まり、言葉が途切れた。瞳はただ茫然と、初めて知った幻の妹の話を聞いていた。理沙…記憶の底で、そんな名前を聞いたことがあるような気もしていた。
「土岐子は…ママは、流産は自分の責任だと思い込んだ。ママは身重にも関らずに勤めを続けてたんだ、俺の収入が足りないばっかりに。俺は会社を辞めて、フリーになったばかりだったがうまく行ってなかった。…こんな話、聞かせて悪かったか?」
 瞳は涙を浮かべながらも首を横に振った。彼女は真実を知りたかった。父親を、そして母親をもっと理解するために。
「ママは家に閉じこもったきりで、仕事どころか家事も手につかない有様だった。いろいろ手は尽くしたが、駄目だった。彼女は俺の顔を見るたびに、死んだ子供のことを思い出していたんだ。…それで別れたんだ。あれ以上一緒にいたら、きっと、ママは耐えられなかったろう。」
「パパ…!」
 瞳は父親の胸に飛び込んで泣きじゃくった。涙が止めようもなくあふれ出たが、今は感情に身を任せておきたかった。敏夫は娘を固く抱きしめて、ただ一つ、娘に告げなかった事実を思い出していた。土岐子の自殺未遂…。この事実だけは伏せておいたほうがいい。これ以上、この子を傷つけることなんてできやしない。
「ママ、ママかわいそう…それに、死んだ私の妹も…。」
「御免な、こんな話聞かせちまって。お前には、できれば話したくなかったんだ。」
「ううん、いいの…。これで、何でパパとママが別れたのかはっきりしたから…。ずっと不思議に思ってたのに、ずっと聞けなかったことだったから…ありがとう、パパ…。」



 夜空から花火大会の煙が徐々に薄れ、星空も次第にはっきりしてきた。花火見物の人々も三々五々引き揚げて、町はもう普段の夜と変わりがない。
 瞳も敏夫も自分の部屋で、それぞれに物思いにふけっていた。瞳は母親のことを、幻の妹のことを思っているのだろう。そして、敏夫は消えた親友のことを。
「ユウジサン…か。一体、あいつの記憶はどうなっているんだ…。」
 彼はロボットが壊れる直前に言った言葉を何度も反芻した。恐らく、「ユウジ」とは前の持ち主の名前であろう。記憶装置に残っていた未消去のデータが、何かの拍子に出てきたことには疑いない。だが、「ユウジ」が雄二である必然性はない。むしろ同名の別人である可能性のほうがずっと強いのだが、敏夫にはどうも何かが引っ掛かった。


※※※ 小説に登場している人物・団体・製品などの名称は全て架空のものです。例え同名のものが実在しても、本小説の内容とは一切関係ありません。 ※※※

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