LISA:3 「リサ」



 二人が電車に乗っている間に雨は降り始め、三日月ヶ原の駅に着いた頃には本降りになってしまった。
「あーあ。お洗濯やり直しだぁ。」
 瞳は降りしきる雨を恨めしそうな目で見上げて言った。
「洗濯物がもう2着増えるぞ、瞳。」
「?どういうこと?」
「こういう事だ。そらっ!」
 突然、敏夫は雨の中へ飛び出した。「家まで競争だ!」
「あー!パパ、ずるい!」
 瞳も慌ててその後を追う。公衆電話とタクシー待ちの行列。ビルの入り口の雨やどり。雨など気にしない態の自転車のおじさん。突然の雨にかき乱された町中を、二人は笑いながら走っていった。
「楽しかったな、瞳。」
 やっとガレージに駆け込んだ敏夫は息を整えながら、水滴だらけの眼鏡をシャツで拭って言った。
「もうっ!びしょ濡れよ、パパがムチャクチャするから。」
 瞳が濡れた髪を気にしながら言う。ふと見ると、青く光る2つの目が、積み上げた機械の下からこちらをじっと見ている。
「ボブ?ボブじゃないの!帰って来てたんだね。」
 黒猫のボブは機械の下からゆっくり出てくると、濡れた身体をぶるぶると震わせた。
「何だこいつ、今までどこへ行ってたんだ?」
「そんなこと、猫にしかわからないもんねー、ボブ?」
 ボブは瞳の足に頭をすりつけ、ミャーンと甘えた声を出した。「よしよし」と、瞳はボブを抱き上げる。
「あーあ、こんなに濡れちゃって。お家に入って乾かしてあげなきゃ。」
「…!そうだ、洗濯物!」
「いっけない!」
 二人は慌てて階段を駆け上った。ボブを部屋に放り込み、扉を開けるのももどかしく屋上へ飛び出すと、洗濯物を持てるだけひっ掴んで部屋へ駆け戻って放り出す。昼寝していたエリザベスが濡れた洗濯物の下敷きになり、何とも言えない大声を出してタンスの上へ逃げ出した。
「リズごめん!」
「瞳、ほら次!」
 敏夫と瞳は再び屋上へ駆け昇る。ようやく全部の洗濯物を回収すると、瞳と敏夫は顔を見合わせ、思わず大声で笑いあった。
「これ、全部部屋の中に干さなきゃいけないね。」
「後にしとけ、それより早くシャワー浴びて着替えろよ。そのままじゃ風邪ひくぞ。」
「風邪引いたら看病してもらうよ。元はと言えばパパが悪いんだからね。」
 そんな生意気を言いながら、瞳はボブの頭を二、三度撫でて風呂場へ行く。
「バカは風邪をひかないそうだから大丈夫だろ。」
 敏夫はポケットから煙草を出したが、火を付ける間もなく風呂場から瞳の大声が響いた。
「パパー、雨漏りゼンゼン直ってないよ!」
 敏夫はがっくり肩を落とした。この間、屋根の隙間にシリコン目一杯詰め込んだのになぁ。原因はどこか別のところか、何せ元がガレージだもんなぁ…。
「パパったら!」
「聞こえてるよ!どうせ濡れるんだから同じだ、気にするな。」
「だって冷たいんだもん。」
「気にするなったら気にするな!」
 敏夫は濡れたシャツを脱いで丸めると、身体をごしごし拭いはじめた。不意に背中に冷たいものが当り、見上げるとここにも1箇所雨漏りがある。
「うーむ、これはいよいよ本職を呼ばなきゃ駄目かな。」
 とりあえず鍋を持ってきて雨漏りの下に置くと、敏夫は窓のそばに腰を下ろした。煙草は湿気ていてうまく火がつかない。あきらめて煙草を放り出し、彼は雨音を聞きながら風呂場が空くのを待った。外の犬小屋ではベスがいつもの調子で、のんびりと空を見上げていた。



 洗濯物で一杯になった部屋の中、ストーブの燃える音と雨音だけが聞こえている。ボブとエリザベスは丸くなって眠っており、瞳も自分の部屋でうとうとしている。敏夫はコンピュータの前に座り、やりかけの仕事を片付けようとしていた。
「…くそぉ、事象が完全に非同期で起きるもんなぁ。一昔前の完全ノイマンならともかく、最近の分散アーキテクチャは面倒でかなわん。純正のプロセスマネージャなんてアテにならんしなぁ。だからOSから書き直すべきだって言ったのに、あのバカが納期ばかり優先しやがるから、今頃余計な苦労を強いられるんだ、ブツブツ…。」
 積み上げた紙になにか書き付け、じっと睨んではまた何かを書き付ける。鉛筆で空中に図形を書き、想像力を目一杯働かせて考える。
「これで負荷が分散伝達されるかな?でも、負荷変動がプロセッサ間の遅延より短かったら効果ないよなぁ。…まぁ、試してみるか。」
 改良したプログラムを顧客ホスト上でシミュレートしてみると、各プロセッサの負荷は始めこそ均等になっているものの、やがて徐々に発散を始め、最後にはやはりカオス状態に落ち込んでしまう。
「まるで熱力学シミュレータだな。駄目だこりゃ。」
 ぐちゃぐちゃになったグラフのウィンドウを閉じ、敏夫はさっきのメモをぐしゃぐしゃと丸めて投げ捨てた。「システム設計から全部やり直しだ!」
 ログアウトして端末の電源を切り、擦り切れた畳に身体を放り出す。天井にできた丸い水滴。ポチャン、と鍋に水滴の落ちる音。風流といえば風流だが、情けないといえば情けない。
「俺、なんでこんな所に住んでいるのかなぁ…。」
 敏夫は今更のように考え、六年前を思い出していた。「ここだ!ここで、俺達の生活をゼロからやり直すんだ。」土岐子は三歳の瞳の手を引いて、あきれた顔をしていたっけ。郊外の高級マンションから都心のガレージへ引っ越すなんて、世間から見たら気が狂ったと思われたろうな。
 …いや、あの頃の俺も確かに少しばかり狂ってたな。誰の助けも借りずに一人で生きてゆくんだと、家族を守るのは俺一人しかいないんだと、妙な意地ばかり張っていたもんなぁ。
 伸ばした手の先に妙なものが当り、引き寄せて見るとそれは音声合成装置の基盤だった。そうだ、3〜4日前にロボットから外して持って来たんだっけ。他にも損傷した部品がごろごろと、押し入れの段ボールにしまってあったのも思い出した。
 敏夫は起き上がると机の上の端末機を押しのけ、食い入るように基盤をじっと見つめた。亀裂が少々、一部欠損。だが、修理できないほどのものでもない。
「…よしっ!」
 敏夫は膝を叩くと、測定器と工具を棚から引っ張りだした。もう雨音も雨漏りの音も聞こえない。待ちくたびれた瞳が自分で夕飯を作り、敏夫を呼びに来るまで、彼はひたすらロボットの部品修理に没頭していた。



 次の日曜日には部品の修理も一通り終わり、いよいよロボット本体を瞳の手を借りて二階に引っぱり上げた。ロボットは部屋に入れると大きく見えたが、それでも瞳の腰のあたりまでの背丈しかない。猫たちは見慣れない物体に恐れをなして、遠巻きにじっと警戒している。
「ねぇパパ、この子もう直ったの?」
 手元を覗き込んで聞く瞳に、敏夫はロボットを組み立てながら言った。
「大体な。ただ、メモリに以前の学習記憶が一部残っているかも知れないな。」
「何それ?どうゆうこと?」
「このロボットはな、基本動作はプログラムされて出荷されるんだが、家事の細かい作業は客に教えてもらう設計なんだ。今みたいにフレキシブルな人口知能なんてなかったしな。当時はインストラクター派遣サービスなんてのもやってたんだ。」
「ふーん。」
 やがて最後のネジを締め終り、敏夫は膝を叩いて胸を張った。
「よーし、できた!まだ完全じゃないが、一応故障部分は全部直したぞ。」
「やったー!すぐ動かすんでしょ、ね?」
「当り前だ。配線よし、バッテリーもOk。いくぞ、瞳!」
 電源を入れると、ロボットはガタガタと各部のアクチュエータを振動させた。猫たちはびくんと一歩退き、それぞれに防御の姿勢をとる。一方ロボットは猫などには構わずに、以前よりずっとなめらかな声で自己紹介した。
「こんにちは、お買い上げ有り難うございます。私は家庭用作業ロボット、ハウスヘルパーモデル1000です。御使用になる前に、付属のマニュアルをよくお読みください。」
 瞳は喜んで、ロボットの周りを飛び回って上下左右から眺めている。敏夫は苦笑しながら言った。
「このマニュアルって奴がな、400ページもある分厚い奴で『電話帳』って呼ばれてたんだ。あれを読破するユーザーはほとんどいなかったんじゃないかな。」
「ねぇパパ、これからどうするの?」
「ん?まず、使用者の顔と声を登録するんだ。」
 敏夫はロボットの胸のテンキーを操作し、自分の顔をカメラに向けて言った。
「ト・シ・オ。敏夫。」
 敏夫がキーを離すと、ロボットはすぐに返事をする。
「了解しました。『トシオ』さん、あなたはユーザー番号1として登録されました。」
「わー、すごい!ね、ね、次は私にやらせて!」
 瞳は我慢できなくなって割り込むと、見よう見まねでロボットを操作した。が、さすがは彼の娘である。瞳はめでたく一発でユーザー番号2に登録された。
「やったー!次はどうするの?私にやらせてよー!」
 せがむ瞳に気圧されて、敏夫はロボットの初期化手順をすべて娘に任せることになった。もとより拾い物だからマニュアルなどなく、すべて敏夫の記憶が頼りである。それでも夕方までには基本機能のインプットは一通り終わり、ロボットにも瞳の希望通り「リサ」という名前がつけられた。
「ボブにベスに、エリザベスにリサか。お前のつける名前ってのは、何かワンパターンだな。」
「いいじゃん、パパみたいなダサイ名前じゃないもん。私この子にゴンなんて名前つけるの、今でも大反対だからね!」
 瞳は黒猫ボブを抱きながら言った。もともとこの猫は野良猫で、3年ほど前にガレージに住み着いて以来、徐々に部屋に入り込むようになった居候である。瞳には慣れているが敏夫には気を許さず、指一本身体に触れさせない。あまりのゴン太ぶりに敏夫は『ゴン』の名を提案したが、瞳の大反対によって意見は粉砕され、瞳の案による『ボブ』に決定した。
「私の名前だってママがつけたんでしょ?パパの決めた名前だったらどうしようって、私今でもぞっとするわ。」
「そこまで言うことないだろぉ。」
 珍しく敏夫は言い返さず、不満そうな顔をしただけだった。いつもの口喧嘩を期待していた瞳には拍子抜けである。
「あーあ、それにしても疲れたな。もう6時だ、夕飯にしよう。」
 敏夫がよっこらと腰を上げると、リサがキーキー音を立てて後を追う。その音を聞くが早いか、ボブは瞳の手を飛び出してタンスの隙間に隠れてしまった。エリザベスはボブほどロボットを恐れず、タンスの上からじっと様子を伺っている。
「ボブ、ボブ!怖くないよ、ほら、出ておいで。」
 瞳の招きにもボブは応じず、暗がりの中で青い目を光らせてフーフーうなるだけだった。仕方ないので彼女はボブを放っておき、敏夫の手伝いに台所へ行った。支度ができた頃缶詰を持って戻ってくると、もうボブはどこにもいなかった。いつものように、またふっと出掛けてしまったらしい。
 夕食時、瞳はテーブルの横にちょこんと立って片付けを待っているロボットと、椅子の下で缶詰を食べているエリザベスを交互に見ながら敏夫に言った。
「パパ?猫たちとこの子、うまくやって行けるかしら?」
「さぁな、俺は猫じゃないから何とも言えないが、」
 敏夫も猫とロボットを交互に見て、
「エリザベスはともかく、ボブはなかなか慣れないだろうな。」
「ボブ、もう戻って来ないかもね…。」
 うつむいた瞳に、敏夫は陽気に声をかける。
「戻って来るさ。今までにも何度もこんなことあったじゃないか。それにな、」
 彼は瞳のおでこをこつんと突いて、
「何と言っても、この家にはお前がいるからな。」


※※※ 小説に登場している人物・団体・製品などの名称は全て架空のものです。例え同名のものが実在しても、本小説の内容とは一切関係ありません。 ※※※

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