LISA:1 「お元気ですか」
その街の大通りに入った最初の吉野屋の角を曲がって、路地を抜けた先のどぶ川を渡れば真っ先にそれが目に飛び込んでくる。ガレージを改装した2階建ての、アンテナの乱立した奇妙な家。彼がここに引っ越してからというもの、この家と住人はずっと近所の噂話のいい供給元になっていた。
1階はガレージで…「元」ガレージと言うべきだろうが…近所から修理を頼まれたエアコンだのテレビだの、どこからか拾ってきた壊れた機械だのが山積みになっている。奥に腐りかけたトヨタのバンが埋もれているのを見ることができるが、それもじきに見えなくなることだろう。ここの住人はガラクタの山に埋もれそうな通路を通り、奥の階段を登って2階へ上がるのだ。
「ひーとーみーちゃん!がっこーいきましょ!」
ほら、今朝も友達がこの家の小さな住人を呼びに来た。少女は窓から大きく手を振って答え、派手な音を立てて階段を駆け降りてくる。
「瞳!」
父親が窓から身を乗り出して何か叫んだ。振りかざした右手に、小さな袋を握っている。
「お前、また給食袋忘れたぞ。ほら、受け取れ!」
弧を描いて飛んだ白い袋は、見事少女の腕にキャッチされた。
「ありがとう、パパ!」
「しっかりしろ。毎朝何か忘れるじゃないか。」
「イーッだっ!パパだって、会社に行ってた時は毎日忘れ物してた癖に。」
「何だと、このバカ娘!」
「キャッ!」
「逃げろっ!」
走り去る子供達を窓から見送ると、彼は再び食卓に戻った。そして「貴方に似たのねぇ。」という妻の口癖を思い出し、人知れず苦笑してパンを喉に流し込むのだった。
食器を洗い、敷いたままの布団の上に腰を降ろして彼はコンピュータに向かった。朝食を取るわずかな間に、もう3通もメールが届いている。
韓国大星電子より:「お客様方へお知らせ、三次結合超並列システムがお買い得になりました 最小システム5千万円より…」
そんなもん要らないよ、どこから俺のメールアドレスが漏れてるんだ。これは削除!
神戸芦屋商会より:「株式変動予想システムの不具合について」
アチャー、参ったな。休み明けはヤバイと思ってたが、悪い予感が当たっちまったか。と言ってもバグ出したのは俺だしな、仕方ない、ゴネて実費くらいは貰わなきゃ。
Tokiko IWASAWA より:「敏夫さんへ、お元気ですか」
土岐子…。彼はしばらくキーボードから手を離し、机の上に立てた写真に目を走らせた。会わなくなってからもう半年にもなる。今、彼女は田舎へ帰っているはずだった。彼はメールの本文を、一字一句を確かめるようにして読んでいった。
「拝啓
三ヶ月ぶりに帰って来ました。あんなに都会は嫌だと言ってたのに、一度離れてしまうと田舎暮らしには馴染めないものなのですね。やっぱりこっちが落ち着きます。正直言って、自分がずっと借りてきた猫みたいな気がしていました。
雄二さんの消息については、まだ何も情報がありません。でも、何かとても複雑な事情があって連絡が取れないだけだと思います。何かの事件に巻き込まれたりしていないか、ただそれだけが心配です。貴方の所にも何か情報がありましたら、すぐに私に知らせてください。例え悪い情報でも、何もわからないよりはずっとましです。
瞳は迷惑をかけていませんか?あの子ももう九歳ですね。この前の誕生日には、一緒にいてやれなくて済まなかったと伝えてあげてください。
暖かくなってきましたが、まだ朝晩は冷え込みます。季節の変わり目に風邪などお召しにならないよう、瞳とともに御自愛ください。
敬具
追伸 私は雄太と一緒にあの家にいます。また、瞳を連れて遊びに来てください。」
敏夫は返事を打とうとしたが、言葉が思い浮かばなかった。過去の様々な出来事だけが、空虚な心の中を走馬灯のように流れてゆくだけだった。彼は思い出と共にメールを閉じると、仕事を始めるべく顧客のホスト機へと接続を切り替えた。
その日は粗大ゴミ回収の前日で、家の前には所々古くなっり壊れたりした機械が放り出されていた。学校からの帰り道、瞳は友達と話しながらもガラクタには注意深く目を走らせていた。
彼女は壊れた機械を見るのが好きだった。どんな人が造り、どんな人が使い、そしてどうしてここへ捨てられているのか、そんなことを空想するのが好きだった。新品同様なのに壊れて捨てられた機械は悲しそうな表情だ。そんな機械を見ると彼女も悲しく感じてしまう。長年愛着を込めて使われた機械は天寿を全うした老人のように安らかな表情だ。そんな機械は彼女に幸福な空想を与えてくれる。
使えそうなものを見つけると、彼女は帰ってから父親に報告する。すると彼女の「どうしようもない」親父は夜こっそり拾いに行き、そしてガレージの「コレクション」がまた増えるという訳だった。
友達と別れた後、彼女はゴミ捨て場に見慣れないものが捨てられているのを発見した。数年前から普及しだした家庭用「家事手伝いロボット」だ。完全自動ではないにせよ、教えれば掃除や食器片付けなど、身の回りの用事を手伝ってくれるという代物だ。元々は老人や身障者の補助用に使われていたものだが、某メーカーが家庭向けロボットを発売して以来各メーカーの競作になり、今では価格もかなり下がっている。
捨てられているロボットは旧式で外見は少々痛んでいるものの、それほど大きな故障とは思えない。「こりゃ拾い物だわ、大発見!」彼女はこの発見を父親に伝えるべく、駆け足で家へと走って行った。
「パパ、パパ!」
階段を駆け昇る派手な音に、昼寝していた猫がうるさそうに顔を上げた。すぐに勢いよくドアが開き、かばんを放り出した少女が父親の背中に飛び付いた。
「何だ瞳、はしたない。お前も女の子なんだから、少しは…。」
「それどころじゃないの!あのね、ゴミ捨て場にね、ロボットが捨ててあったの。ずいぶん古いみたいだけど、そんなに壊れてないよ。」
「ロボット?!そりゃ凄い、どこだ、どのゴミ捨て場だ?!」
「4丁目の、三角の空き地の所。ほら早く、誰かに拾われちゃうかも知れないよ。」
「まぁ待て、何度も言うようだがゴミを拾うのは法律的には泥棒と同じなんだ。いくら俺でも、日の高いうちからゴミ拾いなんて行けるもんか。」
「そんな事言って、いつも何か拾って来るじゃない。正々堂々と行ったらわかりゃしないよ。ほら行こう、私が案内するから!早く行かなきゃ、回収されちゃうかも知れないよ。そうだ、ベスも連れて行こう!いいでしょ、ね!」
娘にせかされて、敏夫はしぶしぶと腰を上げた。瞳は早速犬小屋にベスを呼びに行く。
「やれやれ、瞳のはしゃぎようったら。俺の娘らしいが、罪な血を分けちまったなぁ。」
敏夫は苦笑まじりの溜め息をこぼし、猫は目を細めて同情を示した。物が大物だけに、手で持って帰るという訳にはゆくまい。となると車が動かなくなった今、頼りになるのはリアカーしかない。
娘と犬を連れ、ガラクタを積んだリアカーを引く姿はどう考えても格好いいものではない。変人扱いには慣れている敏夫でも、奥さん連中の赤裸々な好奇の目に晒されるのはいささか気が滅入る。自分は世間が思うほど図太くも常識はずれでもないと、彼自身では思っていた。
「パパ、早く早く!私先に行っちゃうよ!」
やれやれ、と敏夫は腰を上げ、「今行くよ!」と答えると鉄製の階段を降りて行った。
粗大ゴミ置き場に置かれたロボットを見て、敏夫ははっと息を飲んだ。間違いない、これは自分が設計したロボットだ。もうずいぶん昔の話だが、こんな所で出会うとは!
双眼鏡みたいなロボットの頭はうつろなレンズで夕日を仰ぎ、右手のマニピュレータは壊れて曲がっている。胴体の一部は割れて基盤とメカが見え、左側のキャタピラからローラーが1つなくなっている。金属部分はうっすら白く錆が浮き、プラスチックには黄変箇所が見受けられる。条件の悪い環境で長期間酷使されたらしい。しかし、一体誰が使っていたんだろう?何で今頃こんな所に捨てられたのだろう?
「ね、ほら、凄いでしょ?直せると思う、パパ?」
「うーん、かなり傷んでるなぁ…。でもフレームにダメージはないし、電気系統も異常ないみたいだな、バッテリーは紛失してるけど…。」
ふと人の気配がしたので振り向くと、買い物帰りの奥さん二人が通り過ぎるところだった。こちらなど眼中にないかのような素振りをしているが、敏夫にはちらちらと盗み見られているようで嫌な気がした。
「ま、とにかく早く持って帰ろう。品定めはその後だ。瞳、ちょっとそっちを持て、こいつは重たいぞ。」
「了解、パパ!用意いい?せいのっ!」
「ちょっと、そこ当たってる!オーライ、そのまま持ってきて…よーし、降ろしていいぞ、手を挟むなよ!」
ふと見るとさっきの奥さん達がこっちを見ていて、慌てて知らん顔で向こうへ行くところだった。へん、何とでも思いやがれ。このロボットはもう俺のものだ。ゴミ拾いとでも乞食とでも言いやがれ、物を捨てるばかりの連中に俺の価値観がわかってたまるか。
ロボットを積んだリアカーを引く敏夫の前を、瞳はベスとふざけながら歩く。夕暮れ迫る町を我が家へ向かいながら、敏夫は妙に不敵な気分になっていた。
ガレージの電灯を点け子細に眺めると、敏夫には八年前の思い出が鮮やかに蘇ってきた。世界初の「家庭用家事手伝いロボット」の開発…。誰もが無理だと言い、重役は鼻でせせら笑い、上司は金の無駄だと罵った。だがあの時、敏夫達のグループは必死になって商品化に漕ぎつけ、とうとうクリスマス商戦に向けて流通に流すことに成功したのだった。商売としてはさほど儲からなかったものの、戦略的なインパクトは大きかった。あのメーカーがその後家庭用ロボット市場のリーダー的存在になったのも、敏夫達開発グループの苦労がなければ考えられないことだったろう。
「8年前か…。」
白く錆の浮いたフレームをそっと撫でると、ざらざらした感触が時の経過を物語った。そう、あの年のクリスマスには試作ロボットにサンタの着物を着せ、クラッカーとシャンパンで派手に祝ったっけ。あとの掃除は大変だったし、社内からは嫌味も言われたけど楽しかった。そして何より、あの場所には雄二と土岐子も一緒だった…。
「パパ、何考えてるの?…もしかして、ママのこと?」
敏夫はぎくりとして顔を上げた。
「いや、その…まぁ、そんなところだ。あまり親をおどかすなよ、考えをズバリ当てられちゃ心臓に悪いじゃないか。」
「だって、目ですぐわかるもん。」
9歳のガキのくせに、なかなか生意気なことを言う。敏夫はロボットのパネルを外し、バッテリーの配線を直し始めた。
「ねぇ、ママどうしてるかなぁ。お婆ちゃんちの所って、もう雪溶けてるかな。」
「しまった、言うの忘れてた!ママな、こっちへ帰って来てるんだ。」
「え、本当?!蛭ヶ谷のお家に?!」
「うん。雄太君も一緒だ。」
敏夫は配線を続けながら、彼女の清潔な部屋を思い出して言った。
「わー、やったぁ!ねぇ、また遊びに行こう、行くんでしょ、ねぇ?」
「そうだな、でも、急に行っちゃ迷惑かもな。引っ越したばかりだし…。」
「だったら手伝いに行けばいいじゃん。私も手伝うから、いいでしょ?」
「仕方ないなぁ、そんなに頼まれちゃ。」
口ではそう言いながらも、敏夫は格好の理由ができて内心ほっとしていた。
「じゃあ、今夜でもメール打っとくよ、お前がどうしてもって言うから遊びに行きますってね。」
「私のせいにすることないじゃん。本当はパパも行きたいんでしょ?」
またも心の中を見透かされ、敏夫はギャフンとなってしまった。
(全く、よくもまぁ土岐子に似たもんだ。やっぱり親子だな…。)
と思いながら、
「つまらん事を言うな、それよりロボットだ。いいか、電源を入れるぞ。」
緊張の一瞬。ビクン、とアクチュエータが振動し、発作のようにカメラが周囲を見渡した。
「コンニチワ、オカイアゲアリガトウゴザイマス…ワタシワ、カテイヨウサギョウロボット、ハウスヘルパーモデル1000デス…。」
「わー、変な声。これ、女の人の声でしゃべるのね。」
「この頃は容量が足りなくてな、男女別バージョンで発売されたんだ。それにしても変な声だ、音声合成に損傷があるな。」
「ねぇ、この子に名前を付けようよ。いい?!私が決めるね!」
「え?うん…。」
瞳が名前を付けるのはいつものことだった。雑種犬のベスにせよ、野良猫だったボブとエリザベスにせよ、この家に居ついた時に彼女が付けた名前だった。
「そうねぇ…。よし、あんたは『リサ』よ。わかった、『リサ』?」
聞こえたのか聞こえていないのか、ロボットはぎくしゃくとその「手足」を動かすと、胸のモニターに次々と異常箇所を表示した。
「ジュウヨウブブンニコショウガアリマス、サービスマンヲヨンデクダサイ…エラーコード1157…」
突然、敏夫はロボットのスイッチを切ってしまった。
「どうしたの?パパ?」
「こいつはまだ未完成さ。きちんと修理が終わるまで動かさないほうがいい。」
「でも…。」
「無理に動かすと壊れるぞ。さぁ、今日はもう終わりだ。」
敏夫は工具を片付けると、ガレージの電灯を切って階段を上がった。瞳は不服そうな顔でその後をついてくる。部屋に入ると白猫のエリザベスが起き上がり、「何やってたの、もうお腹ペコペコよ」と言わんばかりの目つきで瞳を見上げた。
敏夫は早速台所に入って夕食の支度を始める。台所で聞こえる食器の音にも、何か殺気がこもっているのを瞳は感じた。彼が機嫌を損ねるといつもこうなのだ。彼女は猫に餌をやりながら、小声で話しかけてみた。
「ねぇ、パパは普段はとっても優しいのに、なんで時々急に怒りだすのかしら。わかる、リズ?」
エリザベスはちらりと台所に目をやると、「さぁね、わからないね」とばかりにまた餌にかぶりつくだけだった。
※※※ 小説に登場している人物・団体・製品などの名称は全て架空のものです。例え同名のものが実在しても、本小説の内容とは一切関係ありません。 ※※※
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