お絵描き掲示板ギャラリー(400x300 ヒコーキ絵)

400x300 で描いたデフォルメ飛行機シリーズです。

20060620.png(5.9K) フォード 5-AT トライモーター(1925)
ブリキガチョウの咆えるとき

自動車王ヘンリー・フォードが航空産業への進出を図って製造した機体ですが、もとはといえばスタウト社という中小飛行機メーカーを買収したものです。3基のエンジンとトタン屋根みたいな波板外板が特徴で、「ブリキのガチョウ(Tin Goose)」の渾名で親しまれました。



20060621.png(13.9K) ハンドレーページ HP.42(1928)
メイドさんと行く空の旅

イギリスのインペリアル・エアウェイで運行されていた長距離旅客機です。巡航速度 160Km/h と低速でしたが、豪華な内装と静かな機内、南方航路ではエアコンまで装備するサービスで好評を博しました。運用期間中、一度の死亡事故も起こさなかった事でも特筆されるべき機体です。



20060622.png(8.0K) フォッカー・スーパーユニバーサル(1927)
働き者のフォッカー

ハト胸ぎみの胴体と分厚い片持式主翼が特徴の小型機です。頑丈で扱いやすく、人や荷物をそれなりに積め、フロートをつければ水上機になるなど名前のとおり汎用性に富んだ機体で、約 200 機が生産され世界中で活躍しました。日本でも中島飛行機がライセンス生産し、患者輸送機として使用されました。



20060626.png(5.1K) ロッキード L-10 エレクトラ(1934)
We got the island in sight.

当時の最先端技術を結集したスマートな双発の小型機です。女流飛行家アメリア・イヤハートは本機を駆って世界一周飛行に挑戦し、南太平洋で消息を絶ちました…。



20060627.png(8.7K) ダグラス DC-3S(1949)
悪徳の栄え

傑作旅客機 DC-3 の後継機として二次大戦後にダグラス社が開発した機体です。しかし軍用輸送型 DC-3(C-47) の米軍放出品が捨て値でゴロゴロ転がっている時代に新品の DC-3 を発注する物好きはおらず、試作機を含めて総生産数 4 機という惨憺たる結果に終わりました。しかし転んでもタダでは起きないダグラス社、米海軍をだまくらかして C-117D 高官輸送機の名前で量産 100 機の契約を勝ち取ったというオチが付きます。



20060630.png(14.8K) デ・ハビランド DH.88 コメット(1934)
大英帝国の威信と、飛行機ファンの夢を乗せ

1934 年に開催された、ロンドン〜メルボルン 18000Km の長距離飛行レース「マック・ロバートソン・エアレース」の優勝機。レース専用として作られた飛行機のなかでは最も美しい機体のひとつです。



20060704.png(9.4K) ボーイング Model 80A(1928)
夕暮れのシアトルを望みながら

今では旅客機の名門ボーイングの出世作です。日よけシェードや読書灯などを備えた、当時としては画期的に豪華な客席を誇り、また世界で最初にスチュワーデスを乗せて飛んだ旅客機でもあります。



20060907.png(9.2K) ベランカ・スカイロケット「ミス・ビードル」(1931)
41時間13分の冒険

1931 年 10 月 5 日、クライド・パグホーンとヒュー・ヘンドンの二名を乗せ、青森県三沢市の海岸を飛び立った「ミス・ビードル号」は空気抵抗削減のために車輪を投下。41 時間 13 分かけて太平洋を横断、ワシントン州ウェナッチに胴体着陸し、太平洋無着陸横断の偉業を成し遂げました。



20060924.png(8.9K) P-51R 「ミス・アシュレイ II」(1999)
Blue sky forever

P-51 にグリフォン・エンジンを搭載しリアジェット 23 の主翼を取り付けた異端のリノ・エアレーサー「ミス・アシュレイ II」号。エンジンに負担を与えず高成績を挙げるというコンセプトのもと、21 世紀のリノを担う新鋭機として 1997 年にデビューした本機は、わずか 2 年後の 99 年土曜日の予選中に空中分解を起こしパイロットのゲイリー・レビッツ氏と共に悲劇的な最期を遂げてしまいました…。



20061009.png(14.0K) カーチス JN-4 ジェニー(1919)
ワイルド・ビルとアメイジング・マリーの空飛ぶサーカス

カーチス JN-4 練習機は一次大戦後に大量の余剰品が民間へと払い下げられ、郵便機、農業機そして「空飛ぶサーカス」バーンストーマー達の愛機となりました。



20061205.png(6.7K) 川崎キ-61 三式戦闘機 飛燕 I 型丙(1945)
銀翼の一閃

飛燕は画期的高速機として期待されましたが、エンジン不調に祟られ充分な実力を発揮できなかったと伝えられます。大戦末期の防空戦闘では奮闘を報道されましたが、高々度に上がるため弾薬を減らして無線機や防弾板も降ろし、時には体当たりを行うという悲壮なものでした…。



20071004.png(5.3K) 川崎キ-60 試作戦闘機(1940)
過渡期の香り

ドイツから輸入したダイムラーベンツ DB601 エンジンの高性能に期待して試作された重戦闘機がキ-60 です。ハリケーンや MS406 にも似た、1930 年代の香りを各所に残す何処か野暮ったいデザインですが、高速重戦の習作としてキ-61 飛燕を生み出す母体となりました。




[目次]
Copyright by 'Crazy' Y.Sasaki