イラストについて
時間ばかりかかった割にイマイチな仕上がり。単色塗装の機体は迷彩より難しいです。カタチが単純なだけに歪みの目立ちやすい機体なので、主線はほとんどパスで描いています。背景は2万メートル級の高々度をイメージしましたが、ちょっとパースが狂ってしまいました(降下してるように見えてしまいます)。
孤独な白鳥:ノースアメリカン XB-70
1966 年 6 月 8 日、カリフォルニア州モハベ砂漠のエドワーズ空軍基地から一機の T-38 練習機が訓練飛行に飛び立とうとしていました。離陸許可を求める交信に、管制塔はクリアランスの代りに「待機せよ」の返答を与えます。滑走路の上で待つことしばし、やがて管制塔から次の指示が入りました。「貴官の任務を変更する、XB-70 が墜落した。位置は基地の北方約 35 マイル、事故現場上空で旋回しつつ次の指示を待つように‥‥」
ノースアメリカン XB-70「ヴァルキリー」超音速爆撃機は、この種の機体として世界最高の性能を持つ米戦略空軍のホープとなる筈でした。それは 1950 年代に緊張が高まる米ソ間の冷戦と核実験のエスカレートを反映し、ソ連に対し先制核攻撃をかける目的で開発された機体です。一基が 14000Kg の推力を発生する強力なジェネラル・エレクトリック YJ93-GE エンジンを六基も搭載し、82000ft(2万5千メートル)の高度をマッハ3の超高速で駆け抜ける XB-70 は、いかなる戦闘機の追撃も受けることなく 22t にも達する通常および核爆弾を敵領土の中枢に叩き込むことが可能な「死の国の使者」の渾名にふさわしい機体になる筈でした。全幅 32m、全長 60m の巨体はマッハ3飛行時の高熱に耐えるべくステンレス外皮によって覆われ、その全身を包む純白の塗装は核爆発の熱線を反射する目的がありました。最大離陸重量 250t に達するこの怪物的飛行機の乗員はわずか四名…巨大なペイロードの大部分は大陸間渡洋爆撃のための燃料と、一発で数十万の人名を奪う熱核兵器の搭載に費やされていたのです。
この忌むべき死の国の使者はしかし、おそろしく単純かつ優美な飛行機でもありました。長く突き出した機首はその先端で発生する衝撃波円錐で機体を包み込む作用があり、その衝撃波を機体下面で受けて揚力を得る「ウェーブ・ライダー」理論が取り入れられていました。紙飛行機のように単純な平面形を持つ巨大なデルタ翼の先端は最大 65 度垂れ下がる珍しい設計でしたが、これは衝撃波のエネルギーを「逃がさず」揚力に変換する工夫のひとつです。デルタ翼機の弱点には離着陸時に高迎角姿勢を取る必要があり、構成の似たコンコルドでは機首を折り曲げて前方視界を確保していますが、XB-70 はコクピット前面のガラスが上下して視界確保する凝った設計になっていました。また、コクピット直後には大きな「カナード」翼があり、高迎角時の安定性および操縦性を改善する工夫が取り入れられています。
素材、形状、エンジン、そしてその飛行高度と飛行速度…XB-70 は何もかもが新開発の新機軸であり、その開発は挑戦と試行錯誤の連続でした。しかし XB-70 が茨の道を切り開いて進む一方で、時代の先端は宇宙開発へと移行しつつあったのです…。XB-70 の飛行性能を軽く凌駕する対空ミサイル、そして地球のどの地点にでも核弾頭を送り込める大陸間弾道ミサイルの発展によって、XB-70 は開発の半ばにおいて既に時代遅れと化してしまいました。そして XB-70 一号機が初飛行を迎えた 1964 年 9 月 21 日には、軍は既にあまりに高額につきすぎるこの巨人爆撃機の将来を見限っており、「高速度・高々度研究用」の名目で試作二機だけが製作されたあと打ち止めにすることを決定していました。完成した二機は様々なトラブルに苦しみながらも試験飛行を続行し、数々の輝かしい新記録と貴重な飛行データを提供しましたが、それはもう軍事的には意味のないものだったのです。
…そして、運命の 6 月 8 日を迎えます。その日、XB-70 二号機はジェネラル・エレクトリック社の依頼で空中撮影のために編隊飛行を行っていました。XB-70 と並んで飛んでいたのはノースロップ T-38 および F-5、マグダネルダグラス F-4、LTV F-8 そしてロッキード F-104 の五機…いずれもジェネラル・エレクトリック社のエンジンを搭載した当時の新鋭機でした。大きさも飛行特性も異なる六機は XB-70 を先頭に逆V字型の緊密編隊を組み、ジェネラル・エレクトリック社のパンフレットを飾る劇的な一枚の写真が撮れるはずでした。
事故直前、XB-70 はより「低速」な戦闘機に飛行速度を合わせるため、大きな迎え角を取って飛行していました。残された写真では胴体上面から激しく水蒸気の尾を曳いており、主翼両端から大きな誘導渦が出ていたことは疑いありません。そして、そこへ編隊を組もうと右後方から寄ってきた F-104 の小さな主翼がこの魔の渦に捕らえられました…F-104 は急激な左ロールに入って XB-70 の右垂直尾翼の半分をもぎ取り、左尾翼に激突してそれを完全にひきちぎったあと、火の玉となって爆発四散しました。数秒後、尾翼を失った XB-70 はゆっくりと機首を振り始め、やがて制御不可能なスピンに入り錐揉み状となってモハベ砂漠に墜落してゆきました。F-104 パイロットの Joe Walker は即死、XB-70 主パイロットの Al White は重傷を負いながらも生還したものの、副パイロットの Carl C.Cross は死亡しました。
50 億ドルを費やした巨大な高性能爆撃機は、こうしてその生涯を終えました。生き残った一号機はその後もしばらく試験・調査に従事しましたが、1969 年 2 月に退役し米空軍博物館に収められました。今でもオハイオ州デイトン・ライトパターソン空軍博物館に行けば、この孤独な白鳥の姿を見ることができます。
XB-70 の終焉はしかし、核爆撃機の時代に終止符を打ったわけではありませんでした。巡航核ミサイルを空中発射可能な重爆撃機 B-52 は 1980 年代までアラート任務に就いていましたし、その後継にはレーダー・対空ミサイルを避け得る超低空飛行が可能な核爆撃機 B-1B、そしてレーダー探知の困難な B-2 ステルス爆撃機がその跡を継ごうとしています。
オハイオの博物館を訪れる者は、きっと XB-70 の巨大さと美しさに打たれることでしょう。そしてこの優美な機体がたった四人のクルーを乗せ、何百万かの人名を奪うために天空を駆ける姿を想像して身震いするかも知れません。しかし博物館の XB-70 はもう二度と飛ぶことがなくとも、彼女の子孫達は今日も邪悪な積み荷を抱え、地球のどこかを飛び続けているのです。
…核戦争の可能性を、本当に昔話として語れる日は来るのでしょうか?
[飛行機エッセイ]
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