Boeing Kaydet(Stearman Biplane)(25.7K) イラストについて

 堅苦しいイラストが続いたので息抜きに手描き線のまま塗ってみました。翼間張線とプロペラだけは PhotoShop 上で描き足してます。塗装は一応米海軍の練習機仕様ですが、尾翼に N ナンバーを入れて民間機であることを示してます。日本の93中練もオレンジ色に塗られて「赤トンボ」と呼ばれていましたが、練習機をド派手に塗るのは不時着時の捜索などに都合よく万国共通ですね。

 機首に潜望鏡みたいなのが突き出してますが、これはキャブレター吸気口です。普通は何かしらフェアリング付けて空力整形するものですが、こういうストレートに取って付けた形状はちょっと珍しいですね。機首の文句は"Oldman's Memory"…わかる人にはわかりますね。でもステアマンの主翼って木製なんだよなぁ(謎笑)。



はじめての翼:ボーイング・ステアマン練習機
 ボーイングの複葉初等練習機は「カデット(Kaydet)」という愛称が制式の名前です(*1)。ですが、この飛行機はその制式名よりステアマン(Stearman)という通称で広く知られています。しかしステアマンとは一体何なのか?その由来を探るのは少々歴史を溯らねばなりません。

 「ステアマン複葉機」の名前は航空機エンジニア、ロイド・カールトン・ステアマン(Lloyd Carleton Stearman)に由来しています。第一次世界大戦末期の 1918 年、20 歳のロイドは飛行機乗りを目指して大学を中退し海軍飛行学校に入学しますが、戦争は三ヶ月後に終結してアメリカは太平気分に満たされ、軍の航空隊は大幅に縮小されてしまいました。ロイドは軍歴もそこそこに故郷のカンサスへ帰ってきますが、空への夢を諦め切れない彼は 1919 年にライヤード航空機に工員として就職し、すぐに才能を認められて設計補佐に昇格します。1924 年に同社がスワロー航空機と改名した時には、彼は主任設計者の立場にありました。しかし保守的なライヤード社長との軋轢は次第に高まり、やがてロイドは親友二人と共にスワローを辞め新たにトラベル・エア社を設立します。ロイドの同志はウォルター・ビーチ(Walter Beech)とクライド・セスナ(Clyde Cessna)で、共にアメリカ航空界の伝説を築くことになる人物でした。

 トラベル・エア社は軽飛行機や郵便機でヒット作を飛ばしそこそこの成功を収めますが、野心に燃えるロイドは 1926 年に独立しステアマン航空機を設立します。しかし 1930 年代に入るとアメリカは大恐慌に見舞われ、太平気分など吹っ飛んでしまいました。乱立していた航空機メーカーは生き残りを賭けて次々に合併し、やがて旅客会社のユナイテッド航空、エンジンのプラット&ホイットニー、プロペラのハミルトン・スタンダード、そして航空機製作のボーイング・ヴォート・シコルスキーが併わさった巨大複合企業「ユナイテッド・エアクラフト&トランスポート」に発展します。そして、ロイドのステアマン航空機もこの呉越同舟の一員でした。
 …しかし、いくら不況とはいえこれはやりすぎでした。1934 年に反トラスト法が制定されユナイテッドは分割、ステアマンはボーイングの支社として位置づけられることになります。人の下で働くことを好まないロイドはボーイングを離れ、カリフォルニアで独立企業・共同企業を点々と興しますが今一つ波に乗りません。1955 年、57 歳のロイドはとうとう兜を脱いでロッキードに就職しますが、定年退社後になお衰えない情熱で自家用機ステアマン MP の設計を開始します。しかし情熱は衰えずとも身体は健康を失ってゆき、MP の設計は完結しないまま 1975 年に 77 歳で世を去りました。

 …少し話が先に行き過ぎました。ステアマンの名を不朽のものとしたカデット練習機は 1934 年に完成した社内呼称 Model75 で、海軍向け N2S-1〜5、陸軍向け PT-13, PT-17, PT-18, カナダ向け PT-27 など各種エンジンを搭載した派生型合わせて 10346 機という大量生産が行われた機体です。胴体は鋼管溶接、主翼は木製骨組みに羽布を張ったもので、1934 年頃としては常識的な構造です。ほぼ同じ幅を持つ上下翼は左右一対のN型翼間支柱で支えられていますが、胴体側支柱は斜めスパーを持たないI型です。なお、補助翼が設けられているのは下翼のみ。主脚支柱が一本柱のI型になっているのはちょっとモダンな特徴で、また舗装滑走路での運用をいちはやく考慮し尾橇ではなく尾輪を採用しているところも目立たないながら重要なポイントです。
 この手の練習機というのは万難を避けとかく基本に忠実な設計である事が求められますが、ステアマンは模範解答とも言える出来映えの名機でした。頑丈で癖がなく扱いやすいステアマンは「はじめての翼」として第二次世界大戦時に何万人もの米陸軍・海軍パイロットを育て、戦後余剰売却された機体は安価で使いやすい農業機や趣味の軽飛行機として全米のみならず全世界に広がってゆきました。

 ステアマンは今日でも別に珍しい機体ではなく、空港に置いてあっても人々の注目を集めたりはしません。しかし、そのケレンのない地味さこそ名機の証でありステアマン最大の誇りです。パイロットが革のジャケットと飛行眼鏡に身を固め、星型7気筒エンジンの軽快な爆音にマフラーをなびかせて飛び立つとき、単なるノスタルジア以上の何かワクワクする気分を感じるようです。かつて数え切れないパイロット達も、このワクワクを胸に「はじめての翼」で大空へ飛び立って行ったのでしょう。

(*1) この記事を書くまでてっきり Cadet(飛行練習生)だと思っていたのですが綴りが違うんですね。Kaydet って何の意味があるのでしょう?辞書にも載ってないし、米練習機の愛称命名基準もよくわかりません。
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