イラストについて
P-40 と言えばフライングタイガース!フライングタイガースと言えば機首のシャークテーィース(鮫口)!最近は考証に凝り過ぎて新作アップがどんどん長くなっているので、久々にイメージ先行で描いてみました。サブタイプは一応 E 型ですがなんせ資料なんか全然見てないので考証性ゼロ!フラタイが E 型を使ったかどうかも確証ありません!どうだ文句あるか、えっへん!
主翼のマークは中国国民党の標識ですがはっきり言って適当です。迷彩色についてもよくわからず、当時のカラー写真を見ると何だかわからん汚い色をごちゃごちゃと塗って(^_^;)迷彩しているようなので、そんな雰囲気にしてみました。
日本機ファンには「やられメカ」としか思われていない P-40 ですが、見る角度によってはなかなか獰猛そうで格好いいです。シャークティースがこれほど似合う飛行機も珍しい(笑)。水平尾翼はもう少し丸っこく(野暮ったく)描いたほうが「らしさ」が出ますね。P-40 のダーティーなイメージを出すために影を強めにしてハイライトを控え、背景はそれらしい色をエアブラシでむらむら〜っと流して山岳地風にしてみました。
傷だらけの英雄:カーチス P-40 ウォーホーク
カーチス社の始祖グレン・カーチスはライト兄弟と飛行機の特許を争ったことで知られる老舗中の老舗です。カーチスは 1924 年の P-1(P は Pursuiter で「追撃機」つまり戦闘機を意味します)以来 1934 年まで、実に 10 年もの間米陸軍航空隊の制式戦闘機を作り続け「戦闘機のカーチス」を自負していました。
しかしながら、この 10 年は近代史上希に見る平和な時代でもありました。大幅に軍事予算が削減されたなか、代わり映えのない複葉布張りの機体にちょっと違うエンジンを乗せただけで「新型機」としてまかり通った時代だったのです。ですが 1930 年に入ると国際情勢は次第にきな臭くなり、旧態然たる複葉機に代わる新型機が望まれるようになります。1932 年に米陸軍は全金属・低翼単葉の革新的戦闘機の競作を発令しましたが、カーチスの提出した XP-31 はパッとせず、代わって新鋭ボーイングの P-26 が制式採用されました。
「戦闘機の老舗」を自負していたカーチスにとって、この敗北は少なからぬショックだったに違いありません。彼らは雪辱を果たすべく、当時全金属機の最先端だったノースロップ社からドノヴァン・A・ベルリンを招いて主任設計者に据え、革新的戦闘機「モデル75」の開発をスタートさせます。1936 年に秘密のベールを脱いだモデル75は、機首に大きな空冷 R-1830 エンジンを積みながらも絞り込まれた胴体、胴体の曲線と一体化された密閉風防、翼内に完全に引き込む主脚など新世代を予感させるスマートな設計で、当時ヨーロッパで話題の新鋭戦闘機…イギリスのスピットファイヤー、ドイツのメッサーシュミット Bf109 …と比べて決して遜色のないものでした。
喜んだ米陸軍は 200 機という当時としては破格の大量発注を行いました。しかし、これが P-36 苦難の歴史の始まりとなったのです。新しいエンジンや引き込み脚の不調、主翼の強度不足に悩まされた P-36 は「欠陥機」とまで噂され、部隊では一回り旧式なセバスキー P-35 のほうが好まれる有様でした。やっと不具合を改修した 1939 年頃には技術革新の激しい時代ゆえ、P-36 は既に旧式機になり果てていたのです。
一方、カーチス技術陣も P-36 の苦悩を手をこまねいて見ていた訳ではありません。1937 年には当時アメリカで新開発されたばかりの強力な V12 気筒水冷エンジン、アリソン V-1710 を P-36 の機体に搭載する計画が始まっていました。水冷エンジンに付き物のラジエターは何度かの実験ののちエンジン直下の機首下部に装備されました。後方に捻りながら引き込む主脚の構造は P-36 譲りで、主翼付け根には主脚基部のジョイントを収めた「ナックル(握り拳)」と呼ばれる突起が突き出しており、大口を開いた鮫のようなラジエターカバーと合わせてなかなか喧嘩腰の面構えをしています。最高速度 550Km/h は格別優秀とは言えないものの P-36 の 480Km/h に比べれば明らかな進歩であり、1940 年には P-40 の制式名称で米陸軍航空隊への制式採用が決定しました。
1941 年 12 月 7 日(米日付)の真珠湾攻撃をきっかけに、それまで戦争回避を公言し続けていたアメリカは一転して日本・ドイツ・イタリア相手の全面戦争に巻き込まれました。そして米陸軍戦闘機隊の主翼を担ったのが P-40 だったのです。しかしながら、空冷の設計を強引に液冷に転用した P-40 は構造的に無駄が多く重たい飛行機で、しかも搭載した V-1710 エンジンの過給器能力不足が重量過大に輪をかけたため高空性能が悪く、ドイツの Bf109 にも日本の零戦にも空戦能力では遠く及びませんでした。便りになるものは機体の頑丈さと急降下能力、そして 12.7mm 機銃の破壊力だけ…。より優れた後継機が戦力になるまでの間、米陸軍戦闘機パイロット達はこの二つの能力だけに望みを賭けて、より優れた日独の戦闘機と戦うことを強いられたのです。
中国ではアメリカ義勇航空隊(American Volunteer Group 略称 AVG、のち制式に米軍傘下となり第 23 戦闘飛行団)「フライング・タイガース」が P-40 を駆って日本陸軍の「隼」戦闘機と激闘を演じました。緒戦で損害を出した彼らは軽快な「隼」相手の格闘戦を避けて急降下一撃離脱戦法を採るようになり、この戦法は日本機相手の必勝法としてやがて太平洋戦線全域で広く使われることになります。
北アフリカ戦線では英軍がドイツ機甲軍団相手の対地攻撃機として P-40 を採用し、同じく旧式化したハリケーンと並んで砂塵の中での死闘に活躍しました。英軍は P-40 の空戦性能不足に嘆きながらも、一方では猛烈な対空砲火を喰い穴だらけとなっても無事に帰還できる頑丈さを賞賛したと伝えられます。北アフリカの英軍 No.112 飛行隊では戦意高揚のため P-40 のラジエターカバーに歯を剥き出した鮫の口を描き、報道写真で広く流布されたこの塗装はすぐに中国のフライング・タイガースにも採用され、P-40 のトレードマークとなりました。
イタリア戦線で有名なのは「黒人だけ」で編成された 99 独立飛行中隊です。「黒人飛行士の戦闘能力を実戦で試す」というモルモット的任務のため特別編成された彼らは、ドイツ・イタリア連合軍ばかりでなく友軍からの人種差別という敵と戦わねばなりませんでした。隔離されたテントで泥にまみれて眠る悪条件の中で黒人飛行士達は旧式機 P-40 を駆り、友軍支援の対地攻撃任務を立派に果たしました。彼らの健闘はそれまで黒人飛行士の戦闘能力を否定していた米軍当局を開眼させ、のちに伝説的活躍で知られる第 332 黒人戦闘飛行団設立の母体となったのです。
さて、戦争も 1942 年を過ぎるとロッキード P-38, リパブリック P-47 といった新鋭機がぼつぼつと前線に登場しはじめ、苦しかった P-40 の闘いにも幕が降り始めました。そして 1943 年には高空性能に優れたパッカード・マーリン V-1670 エンジンを搭載した傑作機 P-51 が登場し、二世代も旧式化した P-40 は第一線から引き下げられました。こうして新鋭機を先鋒に立てた連合軍の華々しい反撃の影で、傷つきながら戦線を支えた老戦士はひっそりとその剣を横たえたのです。
P-40 の終焉はすなわち「戦闘機の名門」カーチス社の終焉でもありました。カーチス社では P-40 の後継機として XP-46, XP-53, XP-60, 革新的な先尾翼戦闘機の XP-55, 高々度戦闘機 XP-62 などを試作しましたがどれ一つとしてパッとせず、あまつさえ戦後のジェット化の波にも乗り遅れてしまい、唯一のジェット戦闘機 XF-87 を最後にカーチスの航空機設計部門は解散しノースアメリカン社に吸収されてしまいました。このエピローグの皮肉なところは、ノースアメリカンをカーチスに代わる「戦闘機の老舗」にのし上げた立役者 P-51「ムスタング」戦闘機がもともと、イギリス政府が打診した P-40 ライセンス生産の代案として設計された戦闘機だったことです。
大戦集結まで戦い抜いたスピットファイヤ、Bf109、零戦といったライバル機に比べると、途中でリタイヤした P-40 の戦歴はあまりパッとしません。P-40 の設計自体あまり発展性がなかったこともありますが、それは見方を変えれば旧式機のアップグレードに頼らなければならなかった他国に対し、新設計の新鋭機を次々に戦場に送り込めたアメリカ工業力の余裕でもありました。そしてアメリカが本当に苦しかったとき…まだ戦時体制の工業が立ち上がらず、数においても質においても不利な戦いを強いられていたとき…P-40 は名も無き多くのパイロット達と共に苦戦を戦い抜いたのです。アメリカ人は P-40 の低性能を認めながらも、決してその功績を忘れることはありません。
今日、アメリカには飛行可能な P-40 が数機現存し、リノのエア・レースにも時々出場しています。もちろん旧式然たる P-40 がレース仕様にチューンされた P-51 や F8F 相手に勝てる筈もないのですが、機首のシャークティースをネバダの陽光に光らせ、アリソン・エンジンの爆音を轟かせて飛ぶ P-40 には熱烈な声援が贈られます。かなわぬまでも必死の力を出して健闘するその姿に、人々はありし日の「傷だらけの英雄」の面影を見て取るのかも知れません。
[飛行機エッセイ]
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