イラストについて
特徴の多い F-105 は描きやすい機体ですが、ちょっと機首が下がり気味になってしまいました。三色ベースのベトナム迷彩には一定のパターンがあるのですが、例によって資料不足のため主翼上面の塗り分けは想像です。
背景にはちょっと反戦風味を効かせてみました。ジャングルと爆煙は Painter の油彩ブラシでムラムラ〜ッと適当に描きましたが、ジャングル上空に迷彩塗装では目立たないので、PhotoShop に取り込んだあとフィルタを使ってボカしコントラストを出しています。…なに?爆撃中なのに爆弾が落ちてない?!きっと僚機が落したんでしょう、細かいことを言っちゃだめです(^_^;)。
ハノイの雷鳴:リパブリック F-105 サンダーチーフ
リパブリック F-105 は 1953 年に開発された超音速戦闘爆撃機です。その特徴は単発単座ながら全長 19.6m にも達する胴体に、翼幅わずか 10.6m の強く後退した主翼を組み合わせたことです。超音速時の抵抗を減らすため、F-105 の胴体は中央付近が絞られた「エリアルール」という形態を採用しており、その形状から「空飛ぶコーラ瓶」とも呼ばれました。主翼付け根は前方に突出しており、これには超音速飛行時の空気吸入効率を向上させる働きがありました。
太長い胴体にはおよそ戦闘機らしからぬ大型爆弾倉が設けられており、戦術級核爆弾一発を搭載することが可能でした。同時代の多くの軍用機がそうであったように、F-105 も冷戦の落とし子だったのです。その任務は超低空を高速で敵地に侵入し、通常爆弾または核爆弾で戦術目標を消滅させることでした。しかし、F-105 の行く手には思わぬ運命が待ち構えていたのです。
1965 年、アメリカ大統領ジョンソンはベトナム武力介入の強化を宣言、新たな兵員を派兵すると同時に、それまで手付かずだったベトナム北部への爆撃を開始しました。作戦暗号名「ローリング・サンダー」、一般には「北爆」として知られています。目標は北ベトナム・ゲリラの活動拠点および補給ラインの寸断。作戦開始時、アメリカ空軍は数種類の戦闘爆撃機を擁していましたが、それらの中でもっとも任務に適した機体として白羽の矢が立てられたのが F-105 だったのです。
米軍上層部の考えでは、F-105 の爆弾搭載量はゲリラを壊滅させるのに十分すぎるほどであり、その高速性は時代遅れの北ベトナム戦闘機を振り切ることが可能なはずでした。核攻撃装備を外した F-105 は胴体や翼に数十発もの通常爆弾を抱き、濃緑のジャングル迷彩を身にまとい、雷鳴にも似た J75 エンジンの轟音を響かせてハノイ上空に出撃してゆきました。
しかし、作戦はワシントン司令部の思った通りにはなりませんでした。北ベトナム軍はソ連から供給された新兵器、地対空ミサイル SA-2 と超音速戦闘機 MiG-21 を所有していたのです。高速ながら運動性が鈍く、ただ一基のエンジンしか持たぬ F-105 にとって、どちらも恐るべき敵でした。敵地上空でエンジンが傷つくことは、そのまま戦死か捕虜となることを意味していたのです。しかし、対空ミサイルや航空設備への攻撃は非常に限定されたものでした。一説によると、ワシントン司令部は新兵器に同伴したソビエト技術者を殺傷し外交問題に発展することを怖れるあまり、故意に攻撃目標から外したとも言われています。しかしその代償は、第一線の将兵が血で購わなければなりませんでした。なかんずく、F-105 パイロット達の任務は過酷を極めました。
F-105 全生産数 833 機のうち、ベトナムで失われた数 397 機…これはベトナム戦争全期を通して撃墜された米軍機のうち、実に 1/3 近くにあたります。彼らは愛機を自嘲的に「Thud(サッド)」と呼びました。これは重く高速な F-105 が滑走路に降りる時の衝撃と…そして…ベトナムの大地に激突し、火の玉となる時の音も暗示していました。
1968 年、ジョンソン大統領はようやく軍事介入の消極化を宣言、ここにローリング・サンダー作戦は幕を閉じました。この作戦が残したものはベトナムの山野に刻まれた無数の爆撃跡と、家族を失くした何千人ものベトナム人家族たち、そして 400 機近い「Thud」の残骸だけでした。
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