イラストについて
細長い F-104 を、あえて正面に近いアングルで描いてみました。航空自衛隊の F-104J、わかる人にはわかる 201 空の塗装(のつもり)です。滑走路の端でターンアラウンド、管制塔のクリアランスを待つ緊張の一瞬。好きですねぇ、こういう瞬間って。離陸前なのに前縁スリットやフラップが下りていないとか、そんな細かいことを言う人は大物になれません (^_^)。
剃刀と鉛筆:ロッキード F-104 戦闘機
ロッキード F-104 はアメリカ初の実用マッハ2級超音速戦闘機でした。設計はロッキードの風雲児ことケリー・ジョンソン。彼はアメリカ初の実用ジェット戦闘機 P-80、高々度スパイ機 U-2、超高速スパイ機 SR-71 などの設計者としても知られています。
F-104 を特徴づけるのは、その異常なまでに小さな主翼面積です。主翼は小さいだけでなく刃物のように薄く、これに細長い胴体を組み合わせた姿は「剃刀と鉛筆」と渾名されました。鋭い主翼前縁は頭などを当てると危険なため、地上では保護カバーをかぶせていたそうです。
細長い胴体の後半はほとんどエンジンで占められています。このエンジン...ジェネラル・エレクトリック J79 は当時西側で最新最強のエンジンであり、このエンジンなくして F-104 はあり得ませんでした。言い換えれば、J79 の特性を最大限に発揮するために F-104 が開発されたようなものです。
小さな翼と強力なエンジンは F-104 にずば抜けたダッシュ力と上昇力を与えていましたが、この形態では小回りを利かせて旋回するのは苦手です。しかし、この機が計画された 1950 年代は空対空ミサイルの能力が飛躍的に向上し、格闘戦は過去の戦術だと思われていた時代です。ジェット戦闘機の第一能力は速度であり、先に相手を見つけてミサイルを撃ったほうが勝つのだと思われていました。F-104 はまさにその思想を具現化した設計であり、徹底した一撃離脱の一発屋でした。
未来的なスタイルと革命的な性能は、当時の飛行機界に衝撃を与えました。「最後の有人戦闘機」と呼ばれたのも不思議ではありません。マッハ2を超えるために無駄なもの全てを削ぎ落とした姿は、研ぎ澄ました刃物のように精悍で凄みがあります。しかし皮肉なことに、この洗練こそが F-104 の未来を閉ざしてしまったのです。
時は 1960 年代後半、アメリカはベトナムでソビエト製の Mig と戦火を交えました。航続距離が短く侵攻作戦に向かない F-104 はベトナム戦には直接参加していません。しかし、この実戦は F-104 の命運に決定的な影響を与えました。高価で重く、速く、強力なミサイルを積んだアメリカの戦闘機が、より安価で軽量、機関砲を主武装とする Mig を相手に苦戦したのです。
この戦訓はアメリカの戦闘機思想を一変させました。格闘戦は過去の戦術ではなく、ミサイルは必殺の武器ではありませんでした。この後、アメリカの戦闘機は二系統に分かれます。強力なレーダーと長距離のミサイルを搭載し、格闘戦に入ることなく相手を遠距離で撃破できる制空戦闘機と、小型・軽量・安価で格闘戦に強く、地上攻撃能力も持ち合わせた戦術戦闘機です。前者は空軍の F-15 や海軍の F-14、後者は空軍の F-16 や海軍の FA-18 に相当します。
しかし、F-104 はどちらにも属することができませんでした。速度を徹底的に追求した小型の胴体には長距離レーダーやミサイルなどの重装備は詰めず、一撃離脱の設計思想は格闘戦や爆撃には向きません。早くも第一線を引退した「最後の有人戦闘機」の行き着いた先は、「最初の無人標的機」という皮肉な役回りでした。
[飛行機エッセイ]
[目次]
Copyright by 'Crazy' Y.Sasaki