Bf109(14K) イラストについて

 後期生産型の Bf109G です。コクピット直前に丸い膨らみが出っ張っているのが外見上の特徴ですが、これは機首 13mm 機銃の弾倉収納部らしいです。
 マーキングは架空のもの。ドイツ機を描くとき、尾翼のハーケンクロイツ(ナチス・ドイツの象徴)を明記することには賛否両論ありますが、今回は(半ば意図的に)主翼の陰に隠れています。
 プロペラスピナーに施された渦巻きはドイツ機独特のものですが、これは弾よけのおまじないでした。イラストでは黄色に塗っていますが、実際には白が多かったようです。
 背景はヨーロッパに多い草地の飛行場。空は意図的に暗くして、暗雲漂う感じを出しています。これにはナチスドイツの野望と、Bf109 の運命を暗示する意味を含ませて(含ませようとして)います。



バイエルンの騎士:メッサーシュミット Bf109 戦闘機

 メッサーシュミット Bf109 は第二次大戦中のドイツ空軍主力戦闘機です。単一の機種としては航空機史上最も沢山生産された記録を持ち、各型合計三万以上が生産されました。「頭上の敵機」「メンフィス・ベル」などの敵役でも有名なメッサーシュミット、それは果たしてどんな航空機だったのでしょうか。

 メッサーシュミットの特徴を一言で言えば、「極めてドイツ的な合理主義」に塗り固められた戦闘機です。その設計方針は当時最新最強の 1,000 馬力級エンジン、ダイムラーベンツ DB601 の性能を最大限に引き出すことが全てでした。
 まず、胴体の断面積はエンジンに合わせギリギリにまで切り詰められました。その結果コクピットは非常に窮屈なものになり、狭いコクピットに慣れた日本人パイロットが試乗して「とにかく狭い」と漏らすほどのものとなりました。また、主翼は効率を上げるために可能な限り薄く設計されましたが、薄い翼内には燃料タンクが設置できず、航続距離が著しく短くなってしまいました。
 DB601 は倒立V型対向エンジンであり、減速ギアを介したプロペラ軸が機体中心の下側にあります。そこに大直径のプロペラをつけたのですから、着陸脚はどうしても長くなります。しかも薄い主翼には駆動装置が内蔵できないため、主脚を胴体寄りに置いてハの字にした結果、地上姿勢は著しく不安定なものになり、離陸・着陸時の事故を多発する結果となりました。
 鋭い加速と優れた上昇性能、そして機敏な横転は腕のよいパイロットの手にかかれば敵機を手玉に取ることができ、ドイツ空軍に多くの撃墜王を輩出しました。しかしその一方、つまらない事故や操縦ミスで命を落すパイロットが多かったのも事実です。狭いコクピット、短い航続距離、難しい離着陸…。Bf109 が手にした高性能は、パイロットに負担を強いた見返りでした。

 Bf109 が名を上げたのは初期のヨーロッパ戦線でした。DB601 エンジンの咆哮も勇ましく、Bf109 の編隊はフランス空軍やポーランド空軍を一蹴し、その名声は全世界に知れ渡りました。敵の持ち物は何でも優れてみえるのが戦場の常です。いつか刃を交えなければならない連合軍パイロットにとって、Bf109 は世界最強の戦闘機であり、ドイツ空軍「ルフトヴァッフェ」の力の象徴でした。この時期、ドイツ空軍のパイロット達は様々に意匠を凝らした紋章で愛機を飾っていました。彼らはヒトラー第三帝国の誇り高き騎士であり、Bf109 は彼らの要望に答えるだけの力を持った駿馬だったのです。

 向かうところ敵なしのルフトヴァッフェ、その伝説の一旦が崩れたのがイギリス上空の航空戦、「バトル・オブ・ブリテン」です。スピットファイアやハリケーンに乗ったイギリス空軍のパイロットは Bf109 と戦火を交え、すぐに意外な弱点を見い出しました。それは航続距離の短さです。Bf109 がフランス海岸からロンドンを往復すると、空戦に使える燃料の余裕は十五分ほどしかなかったのです。多くの Bf109 がドーバー海峡に着水したり、フランス海岸に不時着したりする羽目に陥りました。機体とパイロットの消耗はドイツ空軍に暗い影を投げかけ、ゲーリングが「数週間でカタがつく」と大言壮語したバトル・オブ・ブリテンは完全な失敗のうちにその幕を閉じました。

 Bf109 が再び空軍の花形に返り咲いたのは、バトル・オブ・ブリテンの終了と時期を同じくして始まった「バルバロッサ」作戦、すなわちソビエト侵略作戦の舞台においてでした。Bf109 は旧式で準備不足のソビエト空軍をバッタバッタと薙ぎ倒し、100 機・200 機撃墜のエースを輩出しました。しかし、これも長くは続きません。やがて出現したソ連の新型戦闘機は性能面で Bf109 を上回り、数の多さも手伝って Bf109 を次第に圧倒してゆきました。
 Bf109 が圧倒されたのはロシアの空だけではありません。この頃ドイツ本国上空には英・米の四発重爆撃機が夜昼となく大編隊で来襲し、工業地帯を次々に焦土に変えていました。Bf109 はもともと軽武装の戦闘機で、重装甲・重武装の重爆撃機を相手にするのは力不足です。武装の不足を補うため、Bf109 は両翼下に機銃ポッドやロケット弾を増設して飛び立ちましたが、これらの重装備は Bf109 本来の性能を著しく低下させました。やがて重爆編隊には P-47 や P-51 など航続距離の長い新型戦闘機が付随するようになり、重荷を抱えた Bf109 は次々と彼らの好餌になりました。

 しかし、Bf109 はドイツ空軍主力の座を最後まで守り通しました。最終型の Bf109K では 1,800 馬力の DB603 エンジンにパワーアップされ、武装も 30mm 機関砲一門 + 15mm 機銃二丁に増強されていました。Bf109K は性能面でライバル P-51 を上回っていたと伝えられますが、登場時期はあまりにも遅く、数もあまりにも少なすぎました。しかも、激戦の中で経験豊富なパイロットは次々に戦死しており、Bf109 を駆るのは主に訓練不足の若年パイロット達だったのです。バイエルンの若き騎士たちは焦土と化した祖国を守るために奮闘しましたが、それは絶望的な戦いでした。有効な戦術も知らず、ただまっすぐ突っ込んで来るだけのドイツパイロットを、連合軍は「ガッグル(ガチョウ)」と呼び馬鹿にしていました。

 三万機以上生産された Bf109 ですが、現存する機体はごくわずかです。飛行可能なものは更に稀であり、それも多くは戦後のスペイン製で、エンジンをイギリス製のロールスロイス・マーリンに置き換えたものです。私の知る限り、オリジナルのダイムラーベンツを積んだ飛行可能な Bf109 は一機しか現存しません。この Bf109 は 1,500 馬力の DB605 を搭載した後期型の Bf109Gで、識別コード「FM+BB」として知られています。
 FM+BB は現在、ヨーロッパを中心とした各地の航空ショーに登場し人気を博しています。DB605 エンジンがその咆哮を上げるとき、かつて世界を恐怖に陥れたナチス・ドイツの忌まわしい記憶と、その祖国に命を捧げたバイエルンの騎士たちの誇りが人の心に蘇るのかもしれません。


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